Site icon ゆるゆる。なちゅらる。どいなか生活。

非常に、ものすごく、強烈に、スピリチュアルな体験をしてしまった。いや、してしまっている。←おそらくまだ続いているような気がする。

何かが起こっている。

はじまりが、いつの事だったのか、じつを言うとはっきりとしない。たぶん、ここ1〜2週間のことのように思う。
前回か、前々回か、前々々回か、まぁ、とにかく夜中、お酒を飲んでいた時のこと。

突然、心の中に、強烈に「愛」というものが、湧き出してきたんだな。どんな感じかというと、

「みんなを愛している。」
「この世界を愛している。」
「この世の中を愛している。」

みたいな。
それで、色んなことが、すっごい愛おしい感じ。愛おしくて、愛おしくて、たまらない感じ。

それと同時に感じたのは、強烈な幸福感。この感覚は知っていた。
以前、瞑想状態になったときに(2002年)、1年間くらい続いていた感覚。で、思い出した。

そうだ。昔わたしは、こんな「感じ」をずっと感じていた。

と。

お酒を飲んでいる間中、とにかく「愛」とか「幸せな感じ」とかが、がんがんに湧いてきて、いても立ってもいられない感じだった。全裸になって空に向かって「愛していますーっっっ」とか、叫んで、走り回りたい気持ちだった。もちろん、やらなかったけど。(←猥褻物陳列罪)

この感覚、実は睡眠をはさんで、次の日の半日くらいずっと続いていた。で、そのあとはというと、あっさりと消えた。(←さすが、凡人)。

思うに、イエスさま(キリスト教)って、こういう強烈な愛を、ずーっと、常に、感じていた(持っていた)人なんだろうな。と思う。
だから、自分がまさにはりつけにされようとしていた時でさえ、

父よ。彼らをお許しください。彼らは自分で何をしているのかわからないのです。(ルカ福音書23章34節)」

てなことを、言えたんだろうと思う。
イエスさまは、自分をはりつけにしようとしていた人たちでさえ、心から愛していた。

そう感じた。

過去と現在と未来のこと

その、お酒を飲んで、強烈な「愛」を感じていたときのこと。
突然、理解したことがある。

それは、時間のこと。

よくスピリチュアルの世界では「時間は無い」と言われるけど、その時、私が理解したことは 「過去と現在と未来はある」 ということ。でもそれはみんな、同じ形をしている。そして、色が違う。過去と未来と現在の色が重なって、「現在」を作っている。(光の三原色みたいな感じ)

だから、過去と未来が「ある」とかと言えば、それは「ある」。でもそれは「現在」の色の違うレイヤーみたいなものなので「無い」とも言える。

それから、時間についてもうひとつわかったことは、 「現在」はすでに存在している ということ。

「現在」という事象は、自分(たち)が作っているように思うけど、でもこれは、もうすでに存在している。ということ。
すでに存在している現在を、私(たち)は今起こっているかのように体験をしているということ。

これは、どういうことかというと、



ふふふ。さっぱりわからない。(←なんじゃそりゃ。)

ほんとうにそうなのだ。どう考えても、わからない。 ただ、その時わたしはそう感じたんだな。

未来が分かっちゃう人がいるということが、分かっちゃった。

また別の日のこと。夜中にお酒を飲んでいた時、スピリチュアルなことがまた突然起こった。

未来がわかる。

と。

具体的に、何かの未来がわかったわけではなくて、ただ、わかる。と感じたんだな。

そして、そういう世界(未来がわかるという世界。または次元。)があるということが、はっきりと分かったんだな。

それから、そういう世界で生きている人がいる。っていうことも、分かった。

これは、その時に頭で考えたことだけど、おそらく「霊能力者」とか「預言者」とか呼ばれる人たちは、こっちの世界で生きている人なんだろうな。と思った。それから、「PNSE」状態の、ある段階の人たちも。
同時に、わたし(たち)が五感で感じることのできるこの世界は、「すべてのことの、ほんの小さな一部」だということを、強く実感した。そして、この世の中に常識として知られる科学とかの「法則」というものは、単に「私たち用」に用意されているだけのものであって、ほんとうは、たいして意味が無いということも分かった。

たしかに、今の文明を築いた今の人類は、科学を使って快適な(?)生活をしているけれど、私が感じた「その世界のもの」と比べると、単なる「その力」の代用品に過ぎないな。という感じがした。

未来を予知する人

ドラマとかに出てくる未来を予知する人は、よく「未来が見える」と言うけど、あれは違うな。と思った。

私が感じた感覚だと、「見える」んじゃない。「わかる」んだ。五感のどの感覚器官も通らずに、ダイレクトに「わかる」。
強引に言えば、意識がどっかの何かに接触して、何かを拾ってくる。みたいな?(←よけい意味不明)

まぁ、実際のところ「見える」人もいるのかもしれない。そして、わたし自身は「自分の意識をコントロールして知りたいものが知れる」という感じがしなかったので「何かを拾ってくる」のような表現にしたんだけど、これも私の感覚。
ひょっとすると、訓練次第で「知りたいことが知れる」ようになるのかもしれない。
いや、わたしはやらないけどな。というか、どういう訓練をすればいいのか、分からないしな。
まぁ、おそらくは「瞑想」なんだと思うけど。

何かをひらめく

ちょっとしたものを、ひらめく。ということは、結構、日常的にあったりする。

でも、こんなに強烈に感じたことは今までに無かったので、メモ的に書いてみた。(←自分用)
また、何かスピリチュアルなことが起こったら、書いてみようかな。

いや、その前に7月のマンスリー折り図を描く方が先か…。(←はよ描け)

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