友だちから聞いたお話
私はクリスチャン(プロテスタント)だけど、滅多に礼拝とか行かない。(昔はまじめに、よく行っていた。)
たまたま、久しぶりに礼拝に行った時に、クリスチャンのお友だちのMさんがすごく悩んで、落ち込んでいた。
この記事はその時のエピソード。
ママ友の間のいじめ
礼拝が終わったあと、元気がないMさんに「元気がないみたい。何かあった?」と、理由を聞いてみた。すると、ママ友の間でいじめにあったということを話してくれた。
きっかけは何だったのかと聞くと、ママ友の間で、他の人と違うことを大げさに取り立てられて、それが『おかしい』と言われるのらしい。
「たとえば、旦那の仕事でアメリカに行くとか。」と、Mさん。
「は?」(←わたし)
彼女は自分だけだったらいいけど、子どもにも影響するのが怖い。というようなことを言った。
よく聞くと、半年前にも同じようなことがあって、すごく悩んだ。と打ち明けてくれた。
「最初に、そういうことを言い始めた人がいて、そしたら次々にみんなが彼女に賛同しはじめて『おかしい』とか言い始めて、あっという間に仲間はずれになって…。」
と、彼女。
聞いているうちに、どこかで見た構図だと思った。ひとりの人が周到に周りの人を味方につけ、ある特定の人(ターゲット)を孤立させ、攻撃を仕掛ける。
彼女の話の続き。
「その時は、だいぶ色々あったけど、なんとかみんなと和解して、元に戻ったけど。」
「うん。」
「でも、その同じ人がまた最近、いろいろ言い始めて…。」
「ええっ!?」
「ほかの人とは、なんとか元に戻れたけど、その言い出しっぺの人とは、もう仲良くなれんわ。」
そこで、私は思い切って聞いてみた。
「その言い出しっぺの人って、ひょっとして、創価学会の人じゃない?」
そしたら、彼女はあっさりと、
「うん、そう。私も知らなかったけど、仲が元に戻れた人が教えてくれた。」
彼女は、
「創価学会の中にはもちろん良い人もいると、思うけど。」と、言っていた。
たとえ日本人同士でも、相手の信仰する宗教に注意を払う
私の友人は、この出来事で、ほんとうに精神的に大きなダメージを負った。彼女の落ち込んでいるようすが、側から見てよくわかった。
私たちは、普段、ふつうに日本に暮らしていて、まさか見ず知らずの人がそんな風に攻撃してくる人がいるとも思っていない。だから、無抵抗のままにやられてしまう。
自分が関わる相手の信仰する宗教について注意を払うことは、たとえ日本人同士でも必要だと感じている。
今日のようす
起床時は、頭部に強い振動。
1時間くらい前(15:00)から、急に腰、足元を中心に振動が起こり始める。
また、拷問がはじまる。
無抵抗の人に対して、肉体的にも精神的にも拷問のような苦痛を与え続ける。彼らは、人を拷問するということに、何も感じないのだろうか。それが一体どういうことなのか。もし、自分の愛する人がそういう目にあったらなど、考えないのだろうか。
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