「彼ら」のこと Vol.2

「彼ら」に受けた嫌がらせについて

「彼ら」に受けた嫌がらせについて、些細なことだけど、残しておこうと思う。
それを『嫌がらせ(ハラスメント)』と取るかどうがは、個人によって違うと思うけど、私にはそれが『嫌がらせ』と感じた。

彼らがどんなふうな嫌がらせをしてくるのか。知っていれば自分も気づけると思うし、他の人が嫌がらせを受けていたなら、気づいてあげられると思う。嫌がらせも長くつづけば『いじめ』や『精神的リンチ』と同じ。誰かのためになればと思う。

高速バスに乗る時、スーツケース置き場(荷物置き場)に置いたスーツケースを押しのけられる
地元の倉吉から高速バスに乗る時に、スーツケース置き場(荷物置き場)にスーツケースを載せたが、後から来た老夫婦(と思われる)が荷物を載せる時、男性の方が、他にも広く置き場所が空いているにも関わらず、私のスーツケースをまるで汚いものを避(よ) けるように、払うように隅に押し避(よ)け、自分の荷物を置いた。
ふつう、他人の荷物はバスの乗務員さんや運転手さんしか触らないと思うし、もし荷物を移動させるとしても、他人の荷物なのだから、もっと丁寧に扱うと思う。そもそも、他にも広いスペースが空いているのに、なぜ、私のスーツケースを押しのける必要があるのか。と思った。

例えば他の人が、この『自分の荷物を置く時に、他人の荷物を払うように隅に押し避ける』という行為を見た人は、彼のことを何と思うだろうか。もし、私がこういう人を見た場合(この荷物が私の荷物でなくて、他の人の荷物だった場合)でも、こういう人を目の前でみたら、なんてことをするんだろう。なんて、自己中心的な人なんだろう。と思う、と思う。

「彼ら」は工作員に似ていると思った出来事 Vol.3』や『彼らのこと Vol.1』でも書いたけど、彼らは嫌がらせをすることに夢中になるあまり、世間から見て、自分が一体どういった行為をしているのか、わからなくなっていると感じる。
バスに乗ったあと、何度も座席を蹴られる
上記の老夫婦は、私が座った座席のすぐ後ろのシートだった。バスは予約制で予約の順番に座席が決められる。空いているときは、座りたい座席の希望も言える。彼らの座席の場所は、たまたまだったかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない。
しかし、彼らは座った途端に、私の席を蹴り始めた。はじめは、たまたま足がぶつかったのかな。と思ったけど、何度もやられるので、これは故意にやられているな。と思った。

バスが走り始め、いくつかの停車駅を回ったあと、乗務員さんがバスの案内をアナウンスし、そして最後に『乗客は今乗っておられる方のみですので、好きな場所に座っていただいても大丈夫です』と、言われた。私は速攻で移動した。老夫婦は、場所を移動しなかった。
発表会の撮影をしていたら、他にもたくさんの座席が空いているにもかかわらず、目の前の座席に座られ、撮影を邪魔される
家族が、地元の文化祭の踊りの発表会に出るというので、記念にビデオ撮影をした時のこと。他にもたくさんの座席が空いているにもかかわらず、いきなり前の席に、老夫婦がふたり並んで座って来た。私の座っていた席は前から数列目のところで、段にはなっていない場所だった。目の前に座られてしまったことで、全く撮影ができなくなってしまった。

仕方ないので、すぐに、さらに彼らの前に移動して、撮影を再開した。彼らはそれ以上は何もしなかった。
海外へ行く時に乗った高速バスで、座席を叩かれる
2018年、海外から一時帰国をしたあと、再び海外へ脱出する際、高速バスに乗った時のこと。休憩所にバスが止まった時、私は降りずにうとうとと、居眠りをしていた。すると、いきなりシートの頭の部分を強く叩かれ、びっくりして目を覚ました。見ると私の横を、若い男性が通りすぎていくところだった。
あぁ、やられたな。と思った。
買い物中、買い物かごの中に入っている物を取り替えられる。あるいは、不要なものを入れられる。
買い物をしているとき、買い物かごの中に入っているものを、似ている別のものに取り替えられたり、あるいは、不要な物を入れられたりされる。
最初は、自分の不注意だと思っていたけど、あまりにも頻繁に起こるので、おかしいと気がついた。
おそらく彼らは、私が買い物カゴから目を離した隙に、あるいは、すれ違った際に、そういうことをするのだろうと思う。似ている商品を入れ替えられたりする場合、レジに並んだ後も気づかないことが多いので、実質的な被害が出てしまう。
最近は、かなり注意をしているが、それでもたまに起こる。

ほかにもまだたくさんある

彼らの嫌がらせは、ほかにも、まだたくさんある。
徐々に書いていこうと思う。

今日のようす

目を覚ました瞬間から、かなり強い振動が始まる。頭にジーンとしびれるような振動。腰、足元にも強烈に響く。
ほんとうに、拷問。
無抵抗な人に対して、精神的にも、肉体的にも、傷つけ、痛めつけ、苦痛を与え続けるという行為を平気でやる人たち。それが一体どういうことなのか、それを一瞬でも考えたりしないのだろうか。と思う。もし、考えないとしたら、もし、他人の痛みがわからないとしたら、おそらくその人は、もう、人の心を持っていないのだろう。そう、思う。

自分の虚栄心にしがみつき、本当は何もないその空虚な穴を埋めるために、他人を苦しめるという卑劣な行為を繰り返し、優越感に浸っているのかもしれない。

ほんとうに悪魔の所業(しょぎょう)だと感じる。

おまけ

先日、プライベートアカウントの twitter で、コメントをしたら、5名の方から『いいね』をもらい、3人の方からフォローもいただいた。

フォローしていただいたのは、おそらく『同じ側』の人だったからだろう。と思っていたけど、昨日ふと、ひょっとしたらコメントの中に『自分は孤独な人間だ』と、書いたかもしれない。と気がついた。
だから『あなたは一人じゃないよ』という意味で、フォローしてくださったのだと。

そうわかったら、なんだか心がジーンとしてしまった。すごく、嬉しかった。

世の中には、悪魔のような人もいる。そして、天使のような人もいる。
天使のような人に触れると『愛』という感情が、全身を包む。どんなひどい目にあっても『愛すること』を忘れてはいけないと思う。
『愛』をくれた人たちに感謝したい。ありがとう。

ちなみに、このコメントはウィルス学者のマーロン博士(Dr. Robert Wallace Malone)のツィートに対してのコメントだった。
マーロン博士も『いいね』をしてくれた。すごく嬉しかった。『愛』をもらったと思ってる。

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