
孤立してしまうという状況
このテクノロジー犯罪、集団ストーカー犯罪の被害者が、その身体的ダメージの他に辛いと感じるところは、その被害を周囲に訴えても、まず信じてもらえない。ということだと思っている。
私も、この被害に遭い始めた頃、一生懸命で家族に訴えたけど、訴えれば訴えるほど『この子は頭がおかしい』とみんなの態度が変わって行くのがよくわかった。なので、早々に訴えるのを諦めた。このことはこちらの記事に少し書いた。
そして、私が最近懸念していることは、被害者同士の間でも、その被害を信じてもらえない状況があるということ。
そして被害者同士でも繋がるのは難しいという現実があるということ。結果、被害者が孤立してしまうということ。
ただ単に、私がそう感じるだけかもしれないけど、でも、おそらく他の被害者の方も感じているのでは、と思っている。
なぜ、そんな状況が生まれてしまうのか。私なりに考えてみた。
被害者同士でお互いを認められない、あるいは繋がれない理由
たとえば SNS で繋がろうとする場合。
- 工作員と疑われる。あるいは、間違われる。
- 被害情報の欠如のために、信じてもらえない。
- 政治的思想(保守派、革新派、改革派など)の違いで繋がれない。(あるいは、故意に分断させられている)
など。
たとえば私は X(Twitter) で、『テクノロジー犯罪被害者です。集団ストーカー被害者です。』と言っているアカウントがすべて、ほんとうの被害者ではないと思っている。つまり、情報の混乱、人の分断を目的として働いている工作員がいる、と思っている。
おそらく、他の被害者の方も感じておられると思う。
どの人が工作員で、どの人が実際の被害者なのか、明確にはわからない。だから、みんな疑心暗鬼になってしまっている。
少し前に、被害者グループのスペース(飛び入り参加。全く知らない被害者の人たち)に参加したことがある。その中で、どなたかが『最近は自分をTIだと勘違いしている人も多くなった。』というようなことを発言されていた。
なるほど。と、思った。実際に『自分をTIだと勘違いしている人が多い』のかはわからないけれど、そう認識している被害者(らしき人。実際に被害者なのかはよくわからない)がいるということは、よくわかった。
こういう認識も、被害者を分断するんだろうな。と、感じた。
被害者の痛みや気持ちをほんとうにわかるのは、被害者だけ。
この犯罪被害の辛さがほんとうにわかるのは、やはり同じように被害に遭っている人たちだと思っている。
何より、この指向性エネルギーで攻撃される不快な現象は、攻撃された人にしかわからない。
だから、被害者同士がつながるのは、無意味ではないと思う。
攻撃を受けていると、ほんとうに辛くて、誰かにわかってほしい、救ってほしいと、思ったりすると思う。でも、もし、誰にも理解されなかったり、誰とも繋がれなかった場合、被害者は実際の被害以上に精神的ダメージを負ってしまうことになってしまう。
被害者の方へ。自分を強く保つために。
X を徘徊していると、ほんとうに辛そうにされている被害者さんに出会うことがある。なんとかしてあげたい衝動に駆られるけど何もできない。自分のことも何もできないでいるのに、他の人に対して何かできるわけがない。
実際、この指向性エネルギー兵器の攻撃は、どうしたって、かわしようがなかったりする。
でも、ほんとうに何もできないこともない、と思ったりする。私がこの10年以上もの間、この被害のことを誰にも理解されず、ほかの被害者の方の誰とも繋がれず、孤立したままの状態で、それでも何とか生きてこれたのは、いくつか理由がある。
他の苦しんでいる被害者の方へ、もしかすると何かの役に立つかもしれないので、情報を共有したいと思う。
心理学を学ぶ
私は 20代前半頃(たしか1993年頃)から、独学で心理学を学んでいた。それは『アドラー心理学』。
今は少し離れてしまっているが、かなり長い間この心理学を学んだ。この心理学はかなり特殊な心理学で、全体論、目的論、、対人関係論、認知論を特徴とする。
このアドラー心理学は私の人生に多大な影響を与えたし、アドラー心理学で学んだ数々の手法は、この被害に遭ってからも、とても役立ったと思う。もちろん今でも役立っている。
アドラー心理学は『個人心理学』とも呼ばれるが、『個人主義』という思想とは全く関係はない。日本語が似ているので、混乱なさらぬよう。
政治を学ぶ
私がこの犯罪の背後にあるものを理解しはじめたのは、ここ数年のこと。コロナ騒動がきっかけ。
政治を学んだら、今までわからなかったものが、少しずつ見えてきたように思う。俯瞰して見えるような感じ。
思想の右左は率直に言って関係がないと私は考えている。関係があるのは、グローバリズム(新自由主義)。
政治を学ぶことは、この犯罪をよく知るために重要だと感じている。
スピリチュアルを信じる
私は神さまを信じている。私がいうこの『神さま』は、宇宙知性(コズミック・インテリジェンス)という感じ。この世のことわり。見えない知性。ちから。そういうもの。
そういうものを信じると、根拠がなくても、大丈夫。という感じが湧いてくる。
また、普段の生活で小さなことにも『愛』や『感謝』という感情を抱くことも大切だと思っている。
『愛』や『感謝』は人間として、決して失ってはいけないもの。そういうものを感じていると、こころのちからを保つことができる。
ブログや日記に記録する / 情報を発信する
自分の被害を、ブログや日記に記録することは、重要だと感じる。
どんな現象が起こったのか、どんな肉体的な損傷があったのか、自分はどう感じ、どう考えたのか。
被害状況を周囲に公表することで、たとえ周囲の人が信じてくれなくても、他の被害者の方には信じてもらえると思う。少なくとも、工作員には間違われない…はず。
今日のようす
数時間まえから、かなり強い振動を起こされる。身体全体に響いている。強烈に不快な感覚。
最近は、トイレに行くと(←大のとき)、腹部を中心に振り幅の大きな振動を起こされ、かなり不快な感覚にさせられる。
結果、その場にいられなくさせられる。
彼らのさまざま嫌がらせをする執念は、ほんとうに果てしがない。まるで人間の欲のよう。
醜い。
コメント