「薬玉」の別名らしい「長命縷」「続命縷」。
薬玉探索であちこち掘り返しているうちに、あんれまぁ。
出るわ。出るわ。芋づる式にずるずるずるずる......っと。それぞれの人がそれぞれ好きなように、 テキトーに呼んでいたんじゃないかと思うぐらい「別名」があるようです。
1. 中国の文献より
日本にも伝わっている呼び名
日本の古典籍でも、本の引用とともに、よく見かける呼び名です。
- 辟兵
- 長命縷
- 續命縷
- 五色絲
- 百索
- 五彩絲
- 五色縷
- 辟兵繒
- 朱索
- 荆楚歳時記 (梁の宗懍(そうりん)著 : 六朝時代の荆楚地方の年中行事や風俗を記録したもの。6世紀半ばごろまでに成立)
- 以五綵絲繫臂 名曰辟兵 令人不病瘟 又有條達等組織雜物 以相贈遺 取鴝鵒 教之語按 孝經援神契曰 仲夏繭始出 婦人染練 咸有作務 日月星辰鳥獸之狀 文繡金鏤 貢獻所尊 一名長命縷 一名續命縷 一名辟兵繒 一名五色絲 一名朱一作百索 名擬甚多
- 風俗通義 (後漢の応劭 (おうしょう)著 : 全十巻。事物の名称を明らかにした書。成立年代不明。)
- 五月五日 以五彩絲系臂 名長命縷 一名続命縷 一名辟兵繒 一名五色縷 一名朱索 辟兵及鬼 命人不病温 又曰 亦因屈原
- 永楽大典 (えいらくたいてん) (明時代の最大の類書 : 1408 年成立)
- 端午一副 金花銀器一事 百索一軸 青團鏤竹大扇一柄 角粽 三服麦少蜜 重陽酒 糖粉羔叶
珍しい呼び名
- 宋書 (梁の沈約 (しんやく、441年 - 513年) 編集 : 南北朝時代、宋の正史。二十四史のひとつ。)
- 壬寅 禁斷夏至日五絲命縷之屬 富陽令諸葛闡之之議也
- 大明会典 (明代の総合法典。1509 年刊行、1587 年増刊)
- 凡端午節、文武百官俱賜扇并五綵壽絲縷。大臣及日講經筵官、或別賜牙邊扇并綵絛艾虎等物。
- 太平御覧 (たいへいぎょらん / 李昉等の撰 : 類書のひとつ。1,000 巻。983 年頃成立)
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- 風俗通 曰 五月五日 色續命絲 俗説益人命
- 神仙傳 曰 仙人用五色絲作續命幡 幡安五色
- 裴玄 親言 曰 五月五日 集五彩繒 謂之 辟兵。不解 以問伏君、伏君曰 青 赤 白 黑 爲之四面 黄居中央 名曰襞方 綴之於復 以示婦人養蚕之工也 傳声者誤以為 辟兵
繒
- 初學記 (徐堅らの撰 : 30 巻。類書。727年 成立。)
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- 造百索系臂 風俗通曰 五月五日 以五彩絲系臂者 辟兵及鬼 令人不病温 又曰 亦因屈原
一名長命縷 一名続命縷 一名辟兵繒 一名五色縷 一名五色絲 一名朱索 又有条達等織組雑物 以相贈遺
- 朱索 赤符 司馬彪 續漢書 曰 五月五日 朱索五色爲戸飾 以止惡氣。 抱朴子 曰 或問辟五兵之道 答以五月五日作赤靈符著心前。
- 厭兵繒 続命縷 裴玄 新語 曰 五月五日 集 五彩繒 謂之辟兵。 応劭 風俗通曰 五月五日続命縷 俗説益人命
歡索
- 遼志 (宋の叶隆礼 著 : 詳しい事はようわかりません)
- 又以雜絲或緑結合歡索 纏于臂膊 婦人進長命縷 宛轉皆爲人象 帶之
( Mio さんより : どこで文を区切るのか分からなかった。 ひょっとしたら「合歡索」かも)
- 遼史 (宋の脱脱、欧陽玄らの撰 : 24 史のひとつで、遼の歴史書。1345 年成立。全 116 巻)
- 五月重五日 午時 采艾叶和緜著衣 七事以奉天子 北南臣僚各賜三事 君臣宴楽 渤海膳夫進艾騣。 以五采絲爲索纏臂 謂之 合歡結 。又以彩絲宛轉爲人形簪之 謂之 長命縷。国語謂是日爲 討賽咿兒 。 討五 賽咿兒 月也
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2. 日本の文献より
日本の文献でも、ずるずるずるっと。
- 河海抄 (かかいしょう : 四辻善成 (よつつじよしなり、1326―1402) 著 / 室町時代初期の源氏物語の注釈書。1367頃成立)
- 續命縷 雲 (靈) 絲 綵 (サイ) 絲 彩 (サイ) 索 なといへり (かけりイ) いつれも藥玉の躰也 (参考文献 :『國文註釋全書』本居豊頴, 木村正辭, 井上賴囶 校訂. 國學院大學出版部, 1910.)
3. まだある
ずるずるっとここまで来ると、漢字の組み合わせ次第で何とでも呼べそうな気がしてきます。
「ズワイガニ」が「松葉ガニ」と呼ばれるみたいに、「長命縷」も、地方によって呼び名が違う。なーんちゃなこと (鳥取弁 : なんてなこと) もあるかもしれません。中国って広いし。
以下は、実際に使われていた、または、使われている呼び名。
- 五彩縷
- 五彩長命縷
- 延年縷
- 五色線
- 五彩線
- 五色絲線
- 長寿線
- 長命寿線
- 端午線
- 五色絲
- 五彩縄
- 百歳索
- 寿索
- 健索
- 辟病繒
- 辟兵紹
- 百索子
どれをとっても、なんて読むのか、さっぱり分かりまへん。 (いつもの通り、情報が中途半端)
4. 日本の「薬玉」の別名
日本だけで使われる特有の呼び名です。
さつきのたま
- 五月の玉 (さつきのたま)
- 五月の珠 (さつきのたま)
- 万葉集 (まんようしゅう : 大伴家持が現存の形に近いものにまとめたっぽい / 成立年未詳、最新の歌からして 759 年 以降 / 現存最古の歌集)
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- 夫木和歌抄
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花の色を さ月の玉にぬきとめて 分つ處女の 姿をぞ見る
民部卿爲家
(参考文献 :『校注 國歌体系 第 22 巻 夫木和歌抄』国民図書 編纂. 国民図書, 1930.)
- 藤原 爲家 (ふじわらのためいえ : 1198 - 1275 年 / 鎌倉中期の公家、歌人)
-
けふかくる 袂の花のいろ〳に さ月の玉も ひかりそへつゝ
(参考文献 :赤堀又次郎『有職故實』東京専門學校出版部 編. 18-- .)
菖蒲珮
- 菖蒲の珮 (あやめのおもの)
- 菖蒲珮 (しょうぶはい)
- 延喜式 (えんぎしき : 藤原 時平、藤原 忠平 等の編 / 905 年 - 編集、927 年成立、967 年施行 / 平安時代の律令法典)
- 延喜式 巻第十五 内蔵寮
造二五月五日菖蒲珮一所、
読下し :
五月五日の菖蒲の珮 (あやめのおもの) 造る所、
(参考文献 :『訳注日本史料 延喜式 中』虎尾俊哉 編. 集英社, 2007.)
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5. Special
万葉仮名のような。当て字のような。
- 倭訓類林 (わくんるいりん : 海北若冲 (かいほうじゃくちゅう) 著 / 1705 年成立 / 江戸中期の辞書。7 巻。)
- 續命縷 (クスダマ) : 文徳実録 久周陀麻
(参考文献 :『日本古典全集 倭訓類林』海北若冲 編, 正宗敦夫 編纂校訂. 日本古典全集刊行会, 1935.)
- 朝日新聞社 六国史
- 朝日新聞社が出版した「六国史」にあった薬玉の註釈です。
六国史 (りっこくし) は日本古代、律令国家によって編纂された六つ正史の総称で、日本書紀、続日本記、日本後記、続日本後紀、日本文徳天皇実録、日本三代実録をいいます。
續日本後記巻第十九 任明天皇 嘉祥二年 五月
藥玉、儀式五月五日節義に續命縷此間謂二藥玉一訓 久須陀麻 (参考文献 :『六国史 巻七』佐伯有義 編. 朝日新聞社, 1941.)
- 後法成寺尚通公記 (ごほうじょうじひさみちこうき : 近衛 尚通 (このえひさみち、1472 - 1544 年) 著 / 1506 - 1536 年 / 戦国時代の公卿 近衛尚通 の日記)
- 永正 九年 五月
五月五日、戊寅、晴、 及晩夕立、頻雷鳴風吹 (中略) 畠山式部少輔 (順光) 爲御使、 從大樹久數 (藥) 玉小童ニ被送之、 クンヱカウ袋十被送門主、御懇之儀、祝著之由、予幷門跡、小童令對面申之、勸一盞
(参考文献 :『大日本古記録 後二條師通記 (上)』東京大學史料編纂書 編. 岩波書店, 1935.)
間違い ?
間違いらしいです。面白いので、いろいろ拾ってみました。
- 雍州府志 (ようしゅうふし : 黒川道祐 著 / 1682 - 1686 年成立 / 山城国 (京都に所在) の総合地誌)
- 原本が間違っているのか、それとも写本が間違っているのか、はたまた活字になるときに間違ったのか、さっぱりわかりません。
Mio さんが参考にした本には藥玉の「藥」に「クズ」とルビがふってありました。
◦ 藥 (クズ) 玉幷燈籠 (参考文献 :『新修京都叢書 第 10 巻 雍州府志』野間光辰 編, 新修京都叢書刊行会 編. 臨川書店, 1968.)
- 花鳥余情 (かちょうよじょう / かちょうよせい : 一条兼良(いちじょうかねよし (または かねら)、1402 - 1481 年) 著 / 1472 成立 / 室町時代の源氏物語の注釈書。30 巻)
- いくつかの写本を確認したので、これはたぶん活字になる時に間違われたのだと思います。
くず玉など (参考文献 :『國文註釋全書』本居豊頴, 木村正辭, 井上賴囶 校訂. 國學院大學出版部, 1910.)
- 御堂関白記 (みどうかんぱくき : 藤原 道長 (ふじわらのみちなが、966 - 1027 年) 著 / 998 - 1021 年 / 摂政太政大臣藤原道長の日記)
- Mio さんが参考にした本では「藥生」となっていました。
寛弘二年 (1005 年) 五月
五日。壬子。參所者。藥生持來。賜祿。從中宮。 齋院被奉藥生。云云。師被來。與人作文。絕韻耳。 (参考文献 : 藤原道長『御堂関白記 上巻』正宗 敦夫 編. 日本古典全集刊行会, 1929.)
- 御湯殿上日記 (おゆどののうえのにっき : 1477 - 1820 年間 / 禁中御湯殿上の間で、天皇近侍の女房が交代で記した当番日記)
- 参考にした続群書類従には「くすむ」とあって、(玉) とルビがありました。 Mio さんが推測するに、たぶん、写本される時に間違われたんじゃぁないかなと。
永祿四年五月
五日。ふけへ御くすむ (玉) まいる。御つかいひろはし大納言殿。御所御しやうそくいてきて。五つしにいたされて。御さか月にまいる。ひしやもんたうなかの院ちこつれてまいらるゝ。わかみやの御かた御くすむ (玉) 。 (参考文献 :『続群書類従 補遺 三 お湯殿の上の日記』塙 保己一 編, 太田 藤四郎 補. 続群書類従完成会, 1932.)
- 殿中申次記 (でんちゅうもうしつぎき : 伊勢 貞遠 著 / 成立年未詳 / 足利義稙代の故実を記した書)
- 殿中申次記は室町幕府 第十代将軍 足利 義稙 (あしかがよしたね) 時代の故実書です。Mio さんが確認した所、何の問題もありませんでしたが、貞丈雑記 (ていじょうざっき : 伊勢貞丈 (いせさだたけ、1717 - 1784 年) 著 / 1763 - 1784 成立、1843 刊行 / 江戸時代の有職故実書、16 巻) に何やら、ぴしゃりと指摘が。
くす玉は藥 (クス) 玉と書也 殿中申次記には葛 (クズ) 玉とあり 是はあやまり也 (参考文献 :『改訂増補 故実叢書 1 巻 貞丈雑記』故実叢書編集部 編. 明治図書出版, 1993.)
report : 2012年 4月 30日
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