
このままだと「振動」に殺される
数日前から頭や腰、足元に起こる「振動」が強く、身体的にも精神的にも非常に苦しい。拷問のよう。
今日は特に腰あたりに、針で体内をいじられているような振動が強い。頭部にもしびれのような振動が来ている。苦痛でしかない。
毎日、毎日、こういう振動が起こる。振動を感じない瞬間はたまにあっても、振動を感じない「日」はない。
振動があまりにも強いと、私はほんとうにこの振動に殺されるんじゃないかと、真剣に思う。
振動が強く起こり始める瞬間
2012年から自分の身体と身の回りに不可解な現象が発生して今年で10年。いままで、いろいろな現象を体験してきた。
中でも、この振動に関する現象は不可解なだけでなく、精神的にも肉体的にも耐え難い苦痛がある。ほかの現象に比べて、エピソードも多い。自分なりに観察を続けていくつかわかったこともある。
今回の記事ではそれを紹介したい。
振動が人為的に起こされている、と直感したエピソード
- 帰宅した途端に振動が強くなる
- 一人暮らしをしていたときのこと。外出先からアパートに帰宅して、部屋に入った途端、強烈な振動が発生する。ということが度々起こった。移動中の車の中や外出先では、まったく何もないか、微細な振動のみ。それが部屋に戻った途端に激しい振動。
場所によって振動の有無、強弱がはっきりと違うことから、人為的にこの現象が起こされているんだろう。と思った。 - 車を運転中、突然振動が起こる
- 車を運転していて赤信号などで止まったとき、突然強い振動がはじまることがたまにある。そして再び走行しはじめると、振動がとまる。あるいは弱まる。(実際は走行している車も多少振動しているので、体に起こされる振動が弱い場合、あまり気づかない)周囲の車の誰かが振動を起こしているんだろう。と思う。
おそらく振動を起こしている人、を特定できた瞬間
ある日車で買い物に出かけたときのこと。畑の中を走る道から、大通り(国道9号線)へ曲がるとき、一旦停止をして左折するタイミングを見ていると、とつぜん振動がはじまった。
キョロキョロしてみるが周囲は畑ばっかりで人はいない。車は目の前の国道9号をびゅんびゅん走っているだけ。
「この高速で通り過ぎる車の何台かから、振動現象を起こされているんだろうか」と不思議に思っていると、ふとバックミラーに一台車が映っているのに気がついた。
私の車の後ろにぴったりとくっついて、停まっている。この畑の道で後続車がいること自体珍しい。運転手は20〜40代くらいの男性。いつの間に。と思いつつ、おそらくこの車の人だな。と思った。
私が気がついたことに相手も気がついたのだろうか。そのあとその車は私と同じ方向に曲がって、私のすぐ後ろを走っていたけど、私とはかなり車間距離をとって走っていた。 - 飲食店で強烈な振動が起こる
- たまに母と外食をすることがある。
外食をするときは、前の日に、何時頃出発するとか、そのレストランの何を食べるとか、必ずピーチクパーチク話す。
ある日、母とスシローに行ったときのこと。席についた途端、強烈な振動に襲われた。客はかなり多い。あまりにも強い振動だったので、耐えられず「店を出よう」と母に言い、何も食べずに店を出た。
店を出た瞬間、振動はおさまった。
その後、近くにある違う回転すし屋さん(北海道)へ行った。そこでは振動はまったく起こらなかった。
「待ち伏せ」をされたんだろうな。と思った。(私は、家での私の会話は、おそらく外に漏れていると思っている。つまり「聞かれている」。確信はないし、証拠もない、実証もできない。でも、このエピソードを含め、そう思わざるを得ない出来事がいくつもある。)
神さま、助けてください
振動があまりにも強烈だと、耐えきれずにその場を逃げ出す。
外出先で起こったら、すぐに場所を移動する。
自宅にいるときは、夜中でも、雨が降っていても、雪が降っていても、とにかく外へ出て、その場を離れる。部屋を飛び出して、車で、山の中へ行ったり、ひと気のない農道を走ったりする。最近は徒歩で、はたけの道を歩き回ったりする。
そうすると、振動が軽減する。
そうしながら心の中で強く祈る。
「神さま、助けてください。どうか、どうか、助けてください。」って。
空を見上げて何度も祈る。
でも、残念ながら、私の声は天に届いたことはない。
部屋に戻ると、また、不快な振動がはじまる。
蛍を見た、散歩の記事のこと
プライベートブログ「ゆるゆる。なちゅらる。どいなか生活。」のこの記事で、「散歩」と書いているけど、実は振動に耐えられなくなって、外へ逃げ出している。
振動を起こしている人のことを考える
ひとりの人に、集団で、身体的にも精神的にも危害や苦痛を与える行為は、集団いじめや集団リンチ以外の何ものでもない、と思う。
この集団リンチのいちばん嫌悪を感じる卑劣だと思うことは、見えない武器を使い、あくまで自分たちは何もしていないように振舞っていること。そして、相手が無抵抗で何もできないとわかった上で、その苦しんでいる相手に攻撃を続け、さらに苦しめ続ける、ということ。
振動を起こしている(私の考えでは「電磁波や超音波を照射し、攻撃している」)人にも、家族や愛する人はいるだろう、と思う。そういう人たちは、人に拷問のような苦痛を与えたあとで、何食わぬ顔をして帰宅をし、家族や愛する人と笑いあって団欒するのだろうか。
たとえば、自分やそういう家族、愛する人が、私と同じ目にあったら嫌だと微塵も思ったりしないのだろうか。
声をあげる
私は「つらい」とか「痛い」とか「苦しい」とか、精神や肉体の状態について、あるいはその状態から起こる負の感情を、他人にあまり話すことはない。話しても治らないとわかっているから。
弱音を吐きたくない。というのもある。心配をかけたくないというのもある。
でもこのブログでは正直に綴ろうと思う。声をあげないと、どんなに耐え難いひどいことが身体に起こっているか、誰も知り得ないと思うから。そして、もしかすると何か思わぬことが、解決の糸口になるかもしれない。と思うので。
振動のエピソードはまだたくさんある。また、紹介したいと思う。
今日のようす
この記事を書き始めて、だんだんと振動が強くなってきた。今は、前頭葉あたりをぐりぐりと針でいじられている感じがする。腰から足にかけての振動も強い。壁から何度もパシン、パシンと強い音が響く。威嚇されているようにも感じる。
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