遺伝子が複製する。模倣子 (もほうし) が伝播する。くす玉が再現される。 そういうことに思考が及ぶと、すぐに頭の中がざわざわしてきます。知識がないことを幸いに、好き勝手に妄想の海が広がります。
「時間」とは一体どういった解釈がなされているものなのか。という新しい妄想源に条件反射で食いつきたくなってしまう。などと、進歩の無い散漫ぶりを披露するのはひとまず後にして、ひとつめの答えは、じゃかじゃーん。
答え :
ほんとうは、空間的に横に広がって行きたいだけなんじゃ?
です。
つまり、遺伝子も模倣子もくす玉も時間的に続きたいんじゃなくて、空間的に続きたいんじゃないかということです。とにかく、同じ空間に自分をたくさん増やす。その空間を自分で埋め尽くす。
そういうことをやりたいんじゃないかと。
しかし、コピーをするには時間がかかります。「うわさ」が「広まる」にはたいして時間がかからないかもしれませんが、「くす玉」を「作る」にはだいたい数時間がかかります (Mio さんの場合)。人間の場合は赤ちゃんが成長して最初のコピーができるようになるまで、どんなに早くても10年 - 15年くらいはかかります。
このコピーに費やされる時間が「残す」という概念を生んでいるだけなんじゃないかと思うわけです。
「時間の問題が空間の問題になっただけじゃないだかいな。そりゃー、問題のすりかえじゃぁないだかえ ? (鳥取弁) 」
って、背中をバシッとやられそうです。はい。おっしゃるとおりで。
責任を持って無責任に暴走を継続します。
「水が高いところから低いところへ流れるように、情報や生命体は広がるもの、そういうものなんだよ」
とか言ったら、ここで終わりだし、
「宇宙だって、どんどん広がっていってるんだ。情報や生命体が広がっていって何が悪いっ !!」
などとほざいてもたいして面白くないので、もう少しまとも (?) に妄想を続け、
「オセロや囲碁と同じなようなもの」
と、考えてみました。
どういうことかと申しますと、最初の絶対数 (目の数みたいなもの) が決められていて、その中でゲームをやっている (コピーを作っている) ということです。
オセロは白と黒の数を競います。囲碁は陣取り合戦です。とどのつまり限界のある中で、何かが増えれば何かが減る、そして増えた方が勝ち。というような、個体数の増減を軸にしたゲームがなされているんじゃないかと思うわけです。
ありきたりですが、「飽和数」に近いものと想像します。それがこの世に自然に存在できうる最大数です。
つい最近、地球上の人口が 70 億人に達したとニュースでやっていて (2011年 10月31日 国連の推計)、地球に一体どのくらいの数の人間が存在できうるのか。ということを妄想しました。無限じゃないはずです。
時間や空間のほか、食料、病気、戦争、災害、社会など、個体数をコントロールしている要因や、それを司る Mio さんの知らない法則が、あれこれ及んでいる気がします。
さぁ、神様じゃね ?
......だんだん、お粗末になってまいりました。
あさって方向もいいところ。この路線での暴走はちょっと一休みです。