1. 掛香とは
「掛香」は、かけごう。と、読みます。古い文献だと「かけがう」または「かけかう」となっています。
この掛香が一体ナニモノなのか、まずは辞典に聞いてみます。
- かけごう (掛 (け) 香、懸 (け) 香)
調合した香を絹の小袋に入れたもの。室内にかけたり、女性が懐中したり、ひもをつけて首にかけたりした。におい袋。 (季 夏)「— や派手な浴衣の京模様 / 碧梧桐」 (参考文献 :『大辞泉』小学館)
- かけごう (掛 (け) 香)
[補説]「かけこう」とも
[1] 練り香を小さな袋に入れ、部屋の柱などにかけておくもの。香嚢 (こうのう)、訶梨勒 (かりろく) など。[季]夏。
[2] 携帯用の匂い袋。ひもで首にかけ袂 (たもと) に入れる。主に女子が用いた。誰 (た) が袖。[季]夏。 (参考文献 :『大辞林』三省堂)
柱に掛けたり、身につけたりするところが、薬玉にとてもよく似ています。
薬玉と懸け香。
何か関係のありそうな気配がします。
一体どういう間柄なのか。早速、リサーチ開始のラッパを吹きます。ぱっぱらぱー。
2. 薬玉と香嚢と訶梨勒
辞典にあるように、掛香のうち柱に掛けるものは、香嚢 (こうのう) 、または訶梨勒 (かりろく) などと呼ばれるようです。
訶梨勒とは、落葉高木の名前です。シクンシ科。中国、インドシナ半島、マレー半島に産して、日本には八世紀ごろ唐の僧、鑑真 (がんじん) が伝えたとされます。果実から作られる「訶梨勒丸」「ミロバラン (Myrobaran) 」は漢方薬です。そして、この果実形に似せて象牙や銅などで作った室町時代の柱飾りのことを訶梨勒と言います。 白緞子 (どんす) 、白綾 (あや) などの美しい袋に入れたそうです(1)。
訶棃勒
藥名。一に靈綵絲ともいふ。又柱飾の名にもいへり。貞丈雑記、飲食の部に「出陣の時、かりろくを呑むと云ふ事舊記にあり、 是は訶棃勒 (カリロク) と云ふ藥なり、訶棃勒は一名を訶子 (かし) とも云ふ、藥種也、 訶子は胸の中にむすばれたる氣を破る能あり、出陣は生死の定まる所にてある故、身の行末を思ひ妻子などを思ひ心氣むすぼるゝ故、 其の藥を用ふるなるべし云々」。又同書座敷飾の部に 「東山殿御飾書にかりろくと云ふ物ありて、かたち如レ此なり、何になる物か詳かならず、 但同書に別に柱飾と云ふ物あり 其の形も此のかりろくに似たる物なり、 柱飾といふは、柱に掛けておく物なるべし、柱飾も、かりろくも藥などを入るゝ物かと思はるゝなり、云々」
和泉草に「大小の象牙を以て、鳥の卵の如くつくりたるものなり、柱飾は可レ然也、 胡銅 (アカガネ) 、鑰石 (カラカネ) にも有るべし」とあり。 されば柱飾のかりろくは、もと藥種のかりろくと形似たるより名づけしならん。 (参考文献 : 関根正直, 加藤貞次郎『有職故実辞典』林平書店, 1940.)
掛香の出所
次は、掛香の出所を訪ねます。
お香を柱に掛ける習慣は、もともとはインドや中国の僧などにみられたようです(2)。
- 嬉遊笑覧 (きゆうしょうらん : 喜多村節信 (きたむら ときのぶ、1783 - 1856 年) 著 / 1830 年成立 / 江戸後期の随筆)
- 懸香は佛家より出つ (釋氏要覽) に 四分云 比丘房内具佛許用香泥々之猶具佛言應四角懸香 とあり
宋人の (談叢) に沈詹事といふ者妾を置て 數年の後妾を里へかへすに曾て汚すとなかりしかは 女猶虚子のやうにありしとて時人沈詹事が行ひを賞て詩を贈ものあり 其句に去日正宣供夜直歸來渾春愁禪人尚有香嚢愧道士猶懐炭婦羞 これ禪僧が香嚢を座傍にかくるをいふなり (参考文献 :『喜多村信節. 嬉遊笑覧 上』日本随筆大成編輯部 編. 成光館出版部, 1927.)
掛香の形
掛香の形はさまざまあったようです。また、掛香を掛ける場所は、帳台 (ちょうだい : 母屋に設けられる寝室。御帳台) の柱や、帳前の簾の鉤 (かぎ) となっていて、やはり薬玉とよく似ています。
- 類聚雜要抄 (るいじゅざつようしょう : 著者未詳 / 1146 年頃成立 / 儀式、行事における 供御、室礼、指図、調度、装束などの雑事を図によって詳しく記した書)
- 關白相府仰云。或説。帳内跡方辻金物下打二肱金一。懸二香嚢一云々。 是故殿所二令レ爲給一也。 如二古今專一歟。 將又今案歟。 不レ聞二慥仰一云々。 又説。懸二帳前簾鈎一云々。 (参考文献 : 群書類従 第 26 雑部. 塙保己一 編纂. 続群書類従完成会, 1932.)
- 有職故実辞典 (ゆうしょくこじつじてん)
- 香嚢 :
合せ香を入れて柱に懸くる袋。類聚雜要抄に、母屋の調度の内、香嚢の形を圖して載す。高さ五寸五分、經り五寸の銀製の玉にして、中より開きて 香藥を入る。上下に飾の緒あり。帳臺の柱に懸くとも、帳前の簾の鉤にかくともいふ。 (参考文献 : 関根正直, 加藤貞次郎『有職故実辞典』林平書店, 1940.)
- 嬉遊笑覧 (きゆうしょうらん : 喜多村節信 (きたむら ときのぶ、1783 - 1856 年) 著 / 1830 年成立 / 江戸後期の随筆)
- この書では、訶梨勒などは薬玉からの派生物だと述べています。実際、これらは魔除けとして使われたようです。
(類聚雜要) に母屋調度の内香嚢一流犀角二枚などあり
香嚢は丸く銀にて作り紐を付 鈎 (カギ) につる物なり 懸角は犀角彫物して 金ものを付 紐にてつる 邪を避る呪なるべし然るを 雜要に角造沈又次は以榎造て燒金して 燒黑て調之云々あるは 只其儀はかりにて詮もなきと也
東山殿御柱飾に訶梨勒あり 其形を訶梨勒の様に造りたれば名となるなるべし 是も香を入れる物歟 是らののたぐひは 藥玉より作り出たる物ならん (参考文献 :喜多村信節『嬉遊笑覧 上』日本随筆大成編輯部 編. 成光館出版部, 1927.)
柱飾りの訶梨勒は、訶梨勒の実が薬用として有効だったので、邪気払いとして柱に掛けたのが始まり(3)だそうです。
ということで、まとめてみます。
答え :
香嚢、掛香、訶梨勒等の関係は、
魔除けや邪気払いなどとして「薬玉っぽく使った」
ということのようです。
自身の程は 70 % くらい。
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3. 薬玉と匂袋と匂玉
柱に掛ける掛香とは別に、身に付けて携帯する掛香のことを、匂袋といいます。 江戸時代には広く一般に用いられるようになり、誰が袖 (たがそで : 衣服の袖の形の匂袋) 、浮世袋 (うきよぶくろ : 絹布を三角形に縫って中に香を入れて、上の角に紐をつけたもの) 、花袋 (はなぶくろ : 花形の匂袋) などと、親しまれたようです。
また、球形に作られた匂袋もありました。これを「匂玉 (においだま) 」または「藥の玉 (薬玉)」といいます。
- 嬉遊笑覧 (きゆうしょうらん : 喜多村節信 (きたむら ときのぶ、1783 - 1856 年) 著 / 1830 年成立 / 江戸後期の随筆)
- 身に香嚢を懸るとは古へ薫衣香を專ら用ひたれは かけ香には及ばさるか
後世匂ひ玉などいふ物ありて かけ香とす (参考文献 : 喜多村信節『嬉遊笑覧 上』日本随筆大成編輯部 編. 成光館出版部, 1927.)
匂袋、匂玉と薬玉の関係ついては、さらにそれぞれこちらで詳しく妄想にふけっています。 薬玉と匂袋 薬玉の薬の玉
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4. 掛香薬玉
江戸中期の有職家、伊勢貞丈 (いせさだたけ) の記した 有職故実書「貞丈雑記 (ていじょうざっき) 」には、ふたつの薬玉の目録が載っています。 ひとつは「藥玉の事」、もうひとつは「かけ香藥玉」です。両者を比べてみます。
- 貞丈雑記 (ていじょうざっき : 伊勢貞丈 (いせさだたけ、1718 - 1784 年) 著 / 1763 - 1784 年成立、1843 刊行 / 江戸時代の有職故実書)
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- 藥玉の事 :
五月五日 くす玉を禁裏より將軍家へ參らせられし由 年中恒例記等にみえたり くす玉は藥 (クス) 玉と書也 殿中申次記には葛 (クズ) 玉とあり 是はあやまり也 くす玉は 香ふ藥を玉にして糸にてかざり つゝじの作花 よもぎ しやうぶをも結び付て 五色の糸を長く たれさげたる物也 是を御簾 (ミス) にかけらるゝ也 后宮名目抄 (ゴクウミヤウモクシヤウ) に云
藥玉の法 麝香 (ジヤカウ) 一兩 沈香 (ジンカウ) 一兩 丁子 (チヤウジ) 五十粒 (ツ) 甘松 (カンシヨウ) 一兩 龍腦 (ロウナウ) 半兩
藥玉一聨 (カケ) 十二 閏月の有る年は 十三也
一粒の大サ 是程迄さぶらふ也
袋は錦 (ニシキ) を用 式は紅 (クレナヰ) 練紐 (ネリヒモ) は 攝家 (セツケ) は白 清華羽林家 (セイグワウリンケ) は紫 其以下は縹 (ハナダ) 色を用ひ侍る也 云々
- かけ香藥玉 :
くす玉の事前に記したる繪圖は御簾にかくる藥玉也 小袖の上にかくるくす玉は すなはち かけ香也 是も五月五日に用いる也
簾中𦾔記に 内裏伏見殿御靈殿より 大なる御くす玉參り候 わきあけの上﨟たちへ參らせ候て そと御かけ候 てわきあけの程御かけ と云々 わきあけとは小袖の脇あけたるを着る程のおさなき女子也 おさなき人々はくす玉をえりにかくる也 おとなびたる人は腰に付るなり
簾中𦾔記に云 五月五日の御くす玉は 御所さまへは 十二筋づゝのが參り候 上らふたちより御下までは 九すぢにて候 御ひでうは 六すぢづゝにて候云々
くす玉の藥法は前に見えたり (参考文献 :『改訂増補 故実叢書 1 巻 貞丈雑記』故実叢書編集部 編. 明治図書出版, 1993.)
つまり、伊勢貞丈さんによると「掛香」というのは、
答え :
小袖にかける薬玉
と、いうことのようです。
ちょっと違う言葉で説明をするなら「小袖に掛ける、五色の糸を垂らした丸い匂袋」っつう事になるんじゃぁないかと思います。
明治時代の辞典類では、「くすだま」を引くと、「掛香」の説明もあったりしました。
- 言海 (げんかい、大槻文彦 編 / 1891 年 / 日本で始めての近代的国語辞典とされるようです)
- くすだま (名) 藥玉
種種ノ香料ヲ玉ニシテ、種種ノ造花ヲ結ヒ付ケ、五彩ノ絲ノ八尺許ナルヲ 埀レタルモノ、簾 (ミス) 、 或ハ、柱ナドニ掛ケテ、不浄ヲ拂ヒ、邪氣ヲ避クトイフ、 端午ニハ、菖蒲ヲ添ヘ、重陽ニハ、菊ヲ添ヘテ、新ト舊 (旧) トヲ換フト云。 續命縷 長命縷 又、玉ニ五彩ノ絲ノミ添ヘテ、身ニ繋クルヲ 掛香 (カケガウ) ト イフトゾ。 (参考文献 :『言海 日本辞書』大槻文彦 編. 大槻文彦, 1891.)
- 国史大辞典 (こくしだいじてん : 八代国治 等編 / 1926 年 / 日本で始めて本格的な国史を扱った、明治時代の辞典)
- クスダマ 藥玉 :
名義 : 種々の藥 (麝香 一兩、沈香 一兩、丁子 五十粒、甘松 一兩、龍腦 半兩) を玉にして錦の袋に入れ、絲にて飾り、つゝじ 菖蒲 艾等を結び、五色の絲を長く (八尺、或は一丈) 垂れ下げたる物を云ふ、 支那には續命縷、長命縷、五色縷、靈絲、彩絲、彩索など稱す、簾柱等にかけて、邪氣を避け、不淨を拂ふと云ふ、 禁裏にては端午に絲所より獻じ、夜御殿の御帳の東の柱にかけらる、 九月九日取り換ふと云ふ、 又群臣之を賜はりて臂にかけ、又は腰に佩ぶ、之を掛香とも云ふ、幼者は襟にかくと云ふ (参考文献 :『国史大辞典』八代国治 等編. 吉川弘文館, 1926.)
- 國書辞典 (こくしょじてん : 落合直文 (1861 - 1903 年) 著 / 1902 年 / 明治時代の辞典)
- くすだま (名) 藥玉。
(1) 種種の香を包みたる袋を、玉の如く造りて、造花などにて飾り、その下に、五色の糸を、七八尺ほど垂らしたるもの。 古、これを簾又は、柱などに掛け置きて、邪氣を拂ひ、臭氣をさくるに用ゐたり。 五月五日には、菖蒲をも添へ、重陽には、菊をも添えたり。
枕「きさいの宮などには、めひどのより御くすだまとて、いろいろの糸をくみさげてまゐらせたれど、 御ちやう奉るもやの柱の左右につけたり
(2) また、一種、玉に、五色の色 (糸? by Mio さん) をつけて、身にそふるもの。かけがう。 (参考文献 : 落合直文『國書辞典』大倉書店, 1902.)
ついでなので、以上の辞典で掛香も調べてみました。
- 言海 (げんかい、大槻文彦 編 / 1891 年 / 日本で始めての近代的国語辞典とされるようです)
- かけかう (名) 懸香
香具ヲ合ハセテ、絹袋ニ包ミ、室内ニ懸ケテ、惡臭ヲ避クルモノ云。香嚢 (参考文献 :『言海 日本辞書』大槻文彦 編. 大槻文彦, 1891.)
- 国史大辞典 (こくしだいじてん : 八代国治 等編 / 1926 年 / 日本で始めて本格的な国史を扱った、明治時代の辞典)
- カケカウ 掛香
香を入れし袋、又匂袋とも云ふ、夏期諸臭を拂はん爲め、香を小袋に納れ、袋の左右に紐を通して頸に掛け袋を懐中したり (雍州府志、歳時記栞草) (参考文献 :『国史大辞典』 八代国治 等編. 吉川弘文館, 1926.)
- 國書辞典 (こくしょじてん : 落合直文 (1861 - 1903 年) 著 / 1902 年 / 明治時代の辞典)
- かけかう (名) 懸香。
一、悪臭を避けむがために、絹の袋に入れて、室内、または、便所などに、掛け置く蒸物。
二、香を包みたる袋。女などの携帯するもの。にほひぶくろ。 (参考文献 :落合直文『國書辞典』大倉書店, 1902.)
参考文献
- 3."訶梨勒"『日本国語大辞典 第二版』小学館, 2001.
- "匂袋"『日本国語大辞典 第二版』小学館, 2001.
report : 2011年 9月 25日
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