薬玉に垂れたとされる五色の糸は、もとは長命縷の五色の糸です。
この五色の糸に迫るべく、もつれないよう、じわじわ、たぐってみたいと思います。

答え :

「絲」は、「いと」と読みますが、もとは「きぬいと」のことを指します。絹糸 (silk thread) 、つまり蚕の繭からとった糸のことです。

六朝時代の荆楚 (現在の湖北·湖南省) 地方の年中行事や風俗を記録した、 荆楚歳時記 (宗懍 (そうりん) の撰、6世紀半ば頃成立) に詳しく書かれてあります。

荆楚歳時記 (宗懍 (そうりん) の撰、6世紀半ば頃成立 / 六朝時代の荆楚地方の年中行事や故事風俗の記録書)
以五綵絲繫臂 名曰辟兵 令人不病瘟 又有條達等組織雜物 以相贈遺 取鴝鵒 教之語按孝經援神契曰 仲夏繭始出 婦人染練 咸有作務 日月星辰鳥獸之狀 文繡金鏤 貢獻所尊 一名長命縷 一名續命縷 一名辟兵繒 一名五色絲 一名朱一作百索 名擬甚多
  • 読下し :
    五綵の絲 (きぬいと) を以て臂 (ひじ) に繋け、名づけて辟兵と曰う。 人をして瘟 (おん) を病まざらしむ。又た条達などの組織雑物、以て相い贈遺するあり。 鴝鵒 (くよく) を取り、之に語を教う。
    「孝經援神契」を按ずるに曰く。仲夏、繭 (まゆ) 初めて出づ。 婦人は染練し、咸 (み) な作務あり。 日月星辰、鳥獣の状の文繡 (もんしゅう) ·金鏤 (きんろう)、尊ぶ所に貢献す。一に長命縷と名づけ、一に続命縷と名づけ、一に辟名繒と名づけ、一に五色絲と名づけ、 一に朱 (一に百に作る) 索と名づけ、名の擬 (に) たるもの甚だ多し。
    (Mio さんのひとりごと :「辟名繒」ではなくて「辟兵繒」だと思う)
    (参考文献 :『荆楚歳時記』守屋美都雄 注釈. 平凡社, 1978.)
  • 読下し :
    五綵の絲を以て臂に繋けて名つけて辟兵と曰ふ、人をして病瘟ならしめず、又、條達等の織組雑物を以て相贈遺するは鴝鵒の語を取るなり。
    按ずるに仲夏に繭始めて出で、婦人は染楝して、咸な努めて日月星辰鳥獣の狀を造り、全縷を文繡して、尊ふ所に貢献す、 一に長命縷と名じ、一に続命縷と名じ、一に辟兵繒と名じ、一に五色絲と名じ、一に朱索と名じ、名擬甚だ多し、
    (参考文献 :『満支習俗考』井岡咀芳 訳著. 湯川弘文社, 1942.)
答え :

前述の荆楚歳時記の引用文には、続きがあります。

陰陽五行説

陰陽五行説とは、古代中国で成立した思想の一つです。万物を陰と陽に分けて考える「陰陽説」と、木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木にそれぞれ剋つという世界観の「五行説」が一体化したものです。

五色の糸の、赤、青、白、黒、黄という色、四方と中央という位置 (方位) は、万物を構成するとされる「木、火、土、金、水」とともに、陰陽五行説で説かれています。
(589~618年頃) の、蕭吉によって撰された「五行大義」を開いてみます。

五行大義 (随の蕭吉 (しゅうきつ) 撰 / 成立年未詳 / 五行説の集大成)
左氏傳、子產曰、發爲五色。
蔡伯喈云、通眼者爲五色。黄帝素問曰、草性有五。

章爲五色者、
東方木爲蒼色、萬物發生、夷柔之色也。
南方火爲赤色、以象盛陽炎焰之狀也。
中央土黄色、黄者地之色也。故曰天玄而地黄。
西方金色白、秋爲殺氣、白露爲霜。白者喪之象也。
北方水色黑、遠望黯然。陰闇之象也。溟海淼邈、玄闇無窮。水爲太陰之物、故陰闇也。

読下し :
左氏傳 (さしでん) 、子產 (しさん) (いは) く、 發 (はつ) して五色と爲 (な) る、と。
蔡伯喈 (さいはくかい) (い) ふ、 眼 (め) に通ずる者 (もの) は五色と爲 (な) る、と。 黄帝素問 (くわうていそもん) に曰く、草性 (さうせい) に 五 (ご) (あ) り、と。

(あらは) れて五色と爲るとは、
東方 (とうはう) の木 (ぼく) 蒼色 (さうしょく) (た)
萬物 (ばんぶつ) 發生 (はっせい) し、夷柔 (いじう) の色なり。

南方 (なんぱう) の火 (くわ) 赤色 (せきしょく) 爲 (た) り
以って盛陽 (せいやう) 炎焰 (えんえん) の狀 (じょう) を象 (かたど) るなり。

中央 (ちゅうあう) の土 (ど) 黄色 (くわうしょく)
(きいろ) は地 (ち) の色なり。 故 (ゆゑ) に天は玄 (くろ) くして地 (ち) は黄 (きいろ) なりと曰ふ。

西方 (せいはう) の金 (きん) は 色 (いろ) 白 (しろ)
(あき) は殺氣 (さっき) と爲 (な) りて、 白露 (はくろ) は霜 (しも) となる。 白 (しろ) は喪 (そう) の象 (かたどり) なり。

北方 (ほっぱう) の水 (すい) は 色 (いろ) 黑 (くろ)
(とお) く望 (のぞ) めば黯然 (あんぜん) たり。陰闇 (いんあん) の象 (かたどり) なり。 溟海 (めいかい) 淼邈 (びやうばく) として、 玄闇 (げんあん) (きはま) り無し。 水 (すい) は太陰 (たいいん) の物 (もの) (た) り、故 (ゆゑ) に陰闇 (いんあん) なり。
(参考文献 :中村璋八, 清水浩子『新編漢文選 8 五行大義』明治書院, 1998.)

まとめ

薬玉の「五色の糸」とは、

です。

しかし、仏教に詳しい人は、「仏教にも五色っちゅうもんがあるがな(鳥取弁)」と、するどいツッコミをなさるかもしれません。それでも、薬玉の五色の糸は陰陽五行説の思想から来ていると断固思います。
なぜなら、

  1. 陰陽五行説の発祥は中国である
  2. 薬玉の発祥も中国である

∴ 薬玉の五色は陰陽五行説由来。

ああ、すばらしきかな。三段論法。

補足 :
仏教の五色 (ごしき : サンスクリット語のパンチャ・バルナの意訳 / 五正色 (ごしょうじき)、五大色 (ごだいじき) とも(1)) が、インド発祥なのか、それとも陰陽五行説の五色を取り入れたものなのかはさっぱりわかりまへん。
陰陽五行説が仏教の五色を取り入れた可能性もあるかもしれません。
薬玉の五色の糸は陰陽五行説由来と思うそのほかの理由
  • 感。
  • なんとなく。
  • 風俗史学者の江馬務氏がそう言っておられる1
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五月五日を「端午 (たんご) 」と言います。端午の節句とも言います。
そのほか、あやめの節供、菖蒲 (しょうぶ) の節供、重五 (ちょうご) 、端陽 (たんよう) などと別名がたくさんありますが、もうひとつ、 「五絲節」 と、いうのもあります。
これは、おそらくこの五色の糸に由来するものと考えられます。
また、「採缕節」というのもあるようです。たぶん、これは「彩縷」のことで、長命縷の異名、「五彩縷」から来ているものと推測します。 薬玉の別名

眞俗交談記 (しんぞくこうだんき : 著者、成立年未詳 (冒頭に「建久二年九月十日自十至甲同日夜今記之」とあります) / 中世の故実、宗門秘事等に関する随録)
五月五日。端午。 又曰五絲節 (参考文献 :『群書類従 第二十八輯 雜部』塙保己一 編纂. 続群書類従完成会, 1932.)
いろは数引大全 (武田福蔵 編 / 1884 年 / 明治初期の辞典)
十二月異名 (いみやう)
五節句 (せつく) 異名 (いみやう)
五月五日
端午 (たんご) 、重五 (ちうご) 、重午 (ちうご) 、 蒲節 (ふせつ) 、端陽 (たんよう) 、 地 ? (字が分かりません。月 + 鼠 です) (ちろう) 、 天中節 (てんちうせつ) 、朱符節 (しうふせつ) 採缕 (縷) 節 (さいろうせつ) (参考文献 :『いろは数引大全』武田福蔵 編. 華井卯助 出版, 1884.)
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注釈 / 参考文献

注釈

参考文献

  1. 『日本大百科全書』小学館, 1986.

レポート : 2012年 5月 31日

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