「醍醐寺文書 (京都伏見区の醍醐寺に伝わる古文書群。約10万点。一部は重要文化財指定) 」の第八函にある「東寺年中雜事」の中に、

という文があり、薬玉と一緒に酒と肴も来たっぽい感じで、ちょっとわくわくさせられます。
薬玉が贈答される時、ただ薬玉単品でというわけではなく、よく何かと一緒に贈られたようです。
その代表的なものが和歌。
あぁ、日本あっぱれ。と扇を回したくなります。

栄華物語 (えいがものがたり : 著者 赤染 衛門かも? / 1028 年以降 1107 年以前の成立 / 平安時代の歴史物語書)
玉の村菊
はかなう五月五日にもなりにければ、大宮 (彰子) より姫宮 (禎子) にとて、 藥玉奉らせたまへり。それに、 そこ深く ひけどたえせぬ あやめぐさ 千年 (ちとせ) をまつの ねにやくらべん
御かへし、中宮 (妍子) より、 年ごとの あやめのねにも ひきかへて こはたぐひなの 長きためしや

註釈 :
新千載集賀には、五月五日、枇杷皇太后 (妍子) に、菖蒲の根を奉らせ給ふ、上東門院とありて、これといさゝかたがへり。 ◦ そこふかくの御歌 : かやうに奉れる菖蒲の根は、土ひぢの底ふかくねざして、ひけぬけども、絕えもせず、千年の齢をたもてる松の根にも、くらべつべき長き根なりとなり。
さて千年を待に、松をかけて、この皇女のめでたき御ゆくすゑを、あやめの根と松の根にたとへて、ほぎたまへるなり。此御歌、新千載集に載せたり。
◦ 年ごとの御歌 : 毎年五月五日にひける菖蒲の根にも、うちかはりて、こたびおくり給へる菖蒲は、他にたぐひもなき程長き例なることよ、
さてその根にたぐへ給へるこの姫宮も、長くめでたくおはすべしとの意なり。ひきかへは、あやめの縁語也。

(参考文献 :和田英松, 佐藤球『栄華物語詳解 巻六』明治書院, 1899.)
栄華物語 (えいがものがたり : 著者 赤染 衛門かも? / 1028 年以降 1107 年以前の成立 / 平安時代の歴史物語書)
あさみどり
されど猶、あざやかなる色ハ まだたてまつらず。五月五日院 (小一條) より姫宮 (禎子) の御方にとて、藥玉奉らせ給へり。

このごろを 思ひいづれば あやめ草 ながるゝおなじじ ねにやとも見よ

御かへし、中宮 (妍子)

いにしへを かくる袂を見るからに いとどあやめの 根こそ志 (し) げけれ

註釈 :
◦ この頃をの御歌 : 故院のかくれ給へる、去年の此頃の事を思ひ出づれバ、かなしさに泣かるゝことならむが、その同じ涙に、こなたも泣きをるにやあらんと、この藥玉をかくる、けふの菖蒲につけて、見給ひてよとなり。
あやめ草ハ、五日の物なれバ、ねといはむ料に、そへていへり。ねは、菖蒲のね (根) に、泣くね (音) をかけたること、例のごとし。
◦ いにしへをの御歌 : いにしへハ、去年の事をさしていへり。
さて、去年、院のかく失せさせ給へることを、心にかけて志 (し) のび、涙をそゝぎ給ふ袂を、見るとそのまゝ、 こなたも、一志ほ (ひとしお) 涙のひまもなく 志 (し) げし となり。
かくるは、かけて思ふよしに、涙をかくることをそへたるにて、菖蒲の縁語なり。

(参考文献 :和田英松, 佐藤球『栄華物語詳解 巻六』明治書院, 1899.)
弁内侍日記 (べんのないしにっき : 藤原信実女 著 / 1246 - 1252 年 / 鎌倉中期の日記)
五月五日、三条の中納言のもとより、例の美しき薬玉 (くすだま) 参らせて、糸乱れて粗相 (そそう) なる由 (よし) 申されたれども、いと美し。結びたる蓬 (よもぎ) の露 (つゆ) に、「ふかき」といふ文字 (もじ) 見えしを、 兵衛督 (ひやうゑのかみ) 殿、「この心言はばや」とありしかば、弁内侍、

菖蒲草 (あやめぐさ) 底知らぬまの長き根に 深きといふや蓬生 (よもぎふ) の露 (つゆ)

返し、中納言

菖蒲草 底知らぬまの長き根を 深き心にいかがくらべむ

(参考文献 :『新編日本古典文学全集 48 中世日記紀行集 弁内侍日記』岩佐 美代子 校注 · 訳. 小学館, 1944.)
増鏡 (ますかがみ : 著者未詳。二条良基説が有力らしい / 1368 - 1375 頃成立っぽい / 歴史物語。17 巻。増補本は 19 巻、または 20巻)
増鏡は後鳥羽天皇誕生 (1180 年) から、後醍醐天皇還幸 (1333 年) までの約 150 年間を描いた歴史物語書ですが、建長三年の五月は、弁内侍日記から引用しているっぽいところがあります。
上記の弁内侍日記と同じ短歌ですが、おもしろいのでついでにこちらもご紹介。

第五 大内やま 後嵯峨、後深草二代の紀  仁治三年より寛元四年までの五年間

建長三年 (1251 年)
五月五日、所々より御かぶとの花、藥玉などいろ〳に多くまゐれり。朝餉にて、人々これかれひきまさぐりなどするに、三條 (の) 大納言公親の奉れる根に、 露おきたる蓬 (よもぎ) の中に、ふかきといふ文字を結びたる、絲のさまもなよびかに、いとえんありて見ゆるを、うへも御目とゞめて、何とまれいへかしと宣ふを、 人々もおよすけて見奉るを、辨内侍、 あやめ草 そこしらぬまの 長き根に ふかきといふや よもぎふのつゆ とありつる使はやかへりにければ、藏人を召して殿上より遣はしけり。御返り、公親、 あやめ草 そこしらぬまの ながき根を ふかき心に いかゞくらべむ (参考文献 :『日本文学大系 校注 第 12 巻』石川佐久太郎 校註. 国民図書, 1926.)

花園天皇宸記 (はなぞのてんのうしんき : 花園天皇 (1297 - 1348 年) 著 / 1310 - 1332 年 / 鎌倉時代の日記)
關白二條道平より菖蒲藥玉を進じまた和歌二首あり
文保元年 五月

[五日、庚午、] 晴、關白 (二條道平) 進菖蒲藥玉、有和哥二首、其躰甚有興、其子細在裏、毎日拜之次暦覽南殿方之間、 關白參入、
(裏書) 和哥一首書薄檀帋短冊、副藥玉、件哥云、

宮人今五日頭指、漢女露千世目馴、

又一首、其躰如送文、

進上
水御牧菖蒲
今年五月 治時云〃

懸紙幷有立紙、表書き云、
進上 右衞門權佐殿、侍所、治時上云〃

予返哥云、

逢時愛目草情見、今日插頭花色添、

又解文返事、

引移
水御牧菖蒲
右葉植
千年    賀茂將經、

漢女頗不審之間、進院御所之後、暫思惟之處、思出日本紀呉織 (クレハトリ) 漢織 (アヤハトリ云〃) (注1) 之文、仍讀了、卽又點給、件哥愚案之旨符合、高名之由所思也、」 (参考文献 :『史料纂集 花園天皇宸記 第一』村田正志 校訂. 続群書類従完成会, 1982.)

おまけです。薬玉に添えられた歌ではなく、薬玉を見て詠われた歌のようです。

栄華物語 (えいがものがたり : 著者 赤染 衛門かも? / 1028 年以降 1107 年以前の成立 / 平安時代の歴史物語書)
鳥のまひ (舞)
五月五日、わらはべ (童女) の藥玉 (くすだま) 附けたるを御覧じて、内大臣殿の御匣殿、

年ごとの あやめの草に ひきかへて なみだのかゝる わがたもとかな

註釈 :
◦ 年ごとの云々 : これまで年毎の五月五日には菖蒲草かけしが、今年はそれにひきかへて母上もゐまさねば 今日この藥玉を見るにつけても悲しさの涙に袂も濡るるよとの意也。

(参考文献 :『栄華物語』池辺義象 校訂註解. 博文館, 1914.)

花園天皇宸記にあるように、朝廷に献上するのは薬玉のほかにも菖蒲などがありました。その時に添えられていた和歌に関するおもしろいお話があります。

古今著聞集 (こきんちょもんじゅう : 橘成季 (たちばなのなりすえ) 編 / 1254 年成立 / 鎌倉時代の説話集)
堀川院の御時五月五日。江帥菖蒲をたてまつりたりける狀に。

進上  水邊菖蒲
  千年 五月五日 大江爲武

この狀を殿上にいだされて人〴によめと仰られけれども。誰も其心をしる人なかりけるに。師賴卿 其時弼少將とて候けるが。案じてよみ侍りける。

(進) てまつり  あ (上) ぐる かはべ (水邊) の   あやめ (菖蒲) ぐさ  ちとせ (千年) の さ月 (五月)    いつか (五日) (大) (江) (爲) (武)

(参考文献 :『国史大系 第 15 巻』経済雑誌社 編, 黒板勝美 校訂. 経済雑誌社, 1897.)

現代語訳 :
堀川天皇 (ほりかはてんわう) の時 (とき) に太宰帥 (だざいのそつ) 大江爲武 (おおえのためたけ) といふ人 (ひと) が 菖蒲 (しやうぶ) を獻上 (けんじやう) した時 (とき) 、 次 (つぎ) の如 (ごと) き狀 (じやう) を添 (そ) へて出 (だ) した事 (こと) があつた。 進上  水邊菖蒲
  千年 五月五日 大江爲武
この文面 (ぶんめん) にある千年 (ねん) 五月 (ぐわつ) とは 不思議 (ふしぎ) だから、天皇 (てんわう) は 殿上人 (てんじやうびと) に何 (なん) と讀 (よ) むか 讀 (よ) んでみよと仰 (おほ) せ出 (いだ) された時 (とき) 、少將 (せうしやう) 師賴 (もろより) と云 (い) ふ人 (ひと) が考 (かんが) へ付 (つ) けて、 これは和歌 (わか) でござりませう、 (進) てまつり  あ (上) ぐるかはべ (水邊) の  あやめ (菖蒲) ぐさ  ちとせ (千年) のさつき (五月)   いつか (五日) (大) (江) (爲) (武) とよむのと思 (おも) ひますと申上 (まうしあけ) たといふ話 (はなし) がある。 (参考文献 :萩野 由之『読史の趣味』東亜堂書房, 1915.)

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注釈

レポート : 2012年 10月 23日

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