和歌は日本固有のポエムで、平安時代からさかんに詠まれました。長歌、旋頭歌など和歌の種類は色々ありますが、
最もよく詠まれているのは「五七五七七」の短歌です。
「薬玉」に関係する歌を集めてみました。
天皇や上皇の下命に基づいて編纂された和歌集を、勅撰和歌集 (ちょくせんわかしゅう) と言います。
平安時代から室町時代に及び、全部で 21 あるとされています。
うち、最初の 1. 古今和歌集、 2. 後撰和歌集、 3. 拾遺和歌集 を、三代集と言い、いずれも平安時代に編まれました。
三代集の第三、拾遺和歌集は 平安時代中期 (1005 - 1007 年) 頃に成立しました。撰者は未詳。約 1350 首を収録しています。
こゑたてゝ なくといふとも 時鳥 (郭公 / ほととぎす) たもとはぬれし そらねなりけり よみ人志らず
(参考文献 :藤原 通俊"拾遺和歌集"『二十一大集 第 2』大洋社 編, 大洋社. 1907.)八代集は、上記三代集に 4. 後拾遺和歌集、 5. 金葉和歌集、 6.詞花和歌集、 7.千載和歌集、 8.新古今和歌集 を加えた和歌集です。 4. 後拾遺和歌集の時代は平安後期、そして、8. 新古今和歌集は鎌倉初期です。
勅撰和歌集の第五は金葉和歌集 (きんようわかしゅう) です。白河院の院宣を受けて、源俊頼 (みなもとのとしより、1055 - 1129 年) が撰進しました。1126 - 1127 年成立。約 650 首の歌がおさめられています。
あやめ草 ねたくもきみが とはぬかな けふは心に かゝれとおもふに 内大臣
菖蒲草 わが身のうきを (にイ) ひきかへて なべてならぬに 生ひもいでなん 權僧正永綠ノ母
(参考文献 :『金葉和歌集』源俊頼 奉勅撰, 井上通泰 校訂. 歌書刊行会, 1909.)千載和歌集 (せんざいわかしゅう) は、後白河院の院宣によって編纂された、平安末期の勅撰和歌集です。1188 年成立。撰者は藤原俊成 (ふじわらのとしなり、1114 - 1204 年) です。収録歌首は約 1280 首。
菖蒲草 涙のたまにぬきかへて をりならぬねを なほぞ掛けつる辨乳母
かへし玉ぬきし 菖蒲 (あやめ) の糸 (草イ) はありながら よどの (淀野) はあれ (荒) む (ぬ イ) 物とやはみ (見) し江侍從
(参考文献 :『千載和歌集』塚本哲三 校. 有朋堂書店, 1926.)この歌の詳しい解説があります。
八代集の一番最後の和歌集は、新古今和歌集 (しんんこきんわかしゅう) です。鎌倉時代の最初の勅撰和歌集で、 後鳥羽院 (ごとばいん) の下命により、源通具 (みなもとの みちとも、1171 - 1227 年) 、 藤原有家 (ふじわらの ありいえ) 、 藤原定家 (ふじわらの さだいえ、又は ていか、1162 - 1241 年) 、 藤原家隆 (ふじわらの いえたか、1158 - 1237 年) 、 藤原雅経 (ふじわらの まさつね、1170 - 1221 年) 、 寂蓮 (じゃくれん、1139 ? - 1202 年) が撰進、1205 年に成立しました。歌数は約 2000 首。
あかなくに 散りにし花のいろいろは 残りにけりな 君が袂 (たもと) に大納言經信
(参考文献 :塩井正男『新古今和歌集詳解』明治書院, 1925.)Mio さんによる補足 :
大納言經信 (源経信 : みなもとのつねのぶ) は、平安時代後期の歌人。
作品に、小倉百人一首の 71番「夕されば 門田の稲葉 おとづれて 葦の丸屋に 秋風ぞ吹く」があります。
ぬまことに 袖そぬれける (ぬるイ) あやめ草 こゝろににたるね をもとむとて 三條院女藏人左近
(参考文献 :"新古今和歌集"『二十一代集 第4』太洋社 編, 太洋社, 1926.)鎌倉時代の「新勅撰和歌集」以降の 13 の勅撰和歌集を十三代集と言います。 それぞれは、9. 新勅撰和歌集、 10. 続後撰和歌集、 11. 続古今和歌集、 12. 続拾遺和歌集、 13. 新後撰和歌集、 14. 玉葉和歌集、 15. 続千載和歌集、 16. 続後拾遺和歌集、 17. 風雅和歌集、 18. 新千載和歌集、 19. 新拾遺和歌集、 20. 新後拾遺和歌集、 21. 新続古今和歌集。 最後の「新続古今和歌集」は、南北朝時代末期になります。
十三集最初の和歌集は、新勅撰和歌集 (しんちょくせんわかしゅう) です。鎌倉時代、後堀河天皇の勅により、藤原定家 (ふじわらのさだいえ、又は、ていか、1162 - 1241 年) が撰しました。1235 年成立。約 1370 首を収録しています。
かくれぬに おひそめにける あやめ草 ふかきしたねに 知人もなし 右近大將道綱母
御返しあやめ草 ねにあらはるゝ 今日こそは いつかと待し かひも有けれ 東三條院
(参考文献 :"新勅撰和歌集"『二十一代集 第 5』太洋社 編. 太洋社, 1925.)後嵯峨院の院宣によって撰された鎌倉時代の勅撰和歌集、続古今和歌集 (しょくこきんわかしゅう) は、藤原為家 (ふじわらのためいえ、1198 - 1275 年)、のちに藤原基家 (ふじわらのもといえ、1203 - 1280 年) 、藤原行家 (ふじわらのゆきいえ、1223 - 1275 年) 、藤原光俊 (ふじわらのみつとし、法名は真観、1203 - 1276 年) が撰に携わり、1265 年成立。約 1900 首を収録しています。
身のうきに ひけるあやめの あちきなく 人の袖まて ねをやかくへき 和泉式部 (参考文献 :"続古今和歌集"『二十一代集 第 5』太洋社 編. 太洋社, 1925.)
Mio さんによる補足 :
和泉式部 (いずみしきぶ) は平安時代の歌人。「和泉式部日記」で有名です。
小倉百人一首 56 番に歌があります。
「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」
続千載和歌集 (ぞくせんざいわかしゅう) は、第十五番目の勅撰和歌集です。時代は、鎌倉時代。後宇多上皇の命によって、二条為世 (にじょう ためよ、1250 - 1338 年) が撰進しました。1320年成立。歌数は約 2150 首。二条為世は、撰者の座をめぐって、京極為兼 (きょうごくためかね) と対立したようです。
いつかとて 待しあやめも 今よりそ 君か千 (ち) とせを かけてつかへん 後近衞關白前右大臣
御返し菖蒲草 引きくらへても つかふへき ためしは長き 世にや残らん 後京極攝政前太政大臣
(参考文献 :"続千載和歌集"『二十一代集 第 7』太洋社 編. 太洋社, 1925.)新千載和歌集 (しんせんざいわかしゅう) は、北朝の後宇多上皇の命によって、二条為定 (にじょうためさだ、1293 ? - 1360 年) が選した、南北朝時代の勅撰和歌集です。1356 年成立。 収録和歌は 約 2360 首。
代々かけて 猶こそたのめ あやめ草 又引人の 身にしなけれは 前大納言爲定
返し思ふかひ なきみこもりの あやめ草 引とは何の 色にみゆらん 源清氏朝臣
(参考文献 :"新千載和歌集"『二十一代集 第 9』太洋社 編, 太洋社, 1926.)新後拾遺和歌集 (しんごしゅういわかしゅう) は、南北朝時代の勅撰和歌集です。 後円融天皇 (ごえんゆう てんのう) の勅によって、二条爲遠 (にじょう ためとお、1341 - 1381 年) が撰、彼の没後は二条為重 (にじょう ためしげ、1325 - 1385 年) が引き継ぎ、1384 年に成立。収録歌首は約 1550 首。
なかき世の ためしにひけは あやめ草 おなしよと野も わかれさりけり 枇杷皇太后宮
返しおり立 (たて) て ひけるあやめの ねをみてそ けふより長き 例ともしる 法成寺入道前攝政太政大臣
(参考文献 :"新後拾遺和歌集"『二十一代集 第 10』太洋社 編, 太洋社, 1925.)Mio さんによる補足 :
この歌は、「法成寺入道前攝政太政大臣の許に 藥玉につけて つかはしける」として、第 18 番目の勅撰和歌集、「新千載和歌集」にも収録されています。
薬玉に関わる和歌は、勅撰和歌集ばかりではありません。個人で撰した和歌集、私撰和歌集 (しせんわかしゅう) にもたくさん詠まれています。
赤染衛門 (あかぞめえもん、だいたい 960 - 1040 年頃) は、平安時代の女流歌人で、「栄華物語」の作者として有力視されていることでも有名です。 小倉百人一首 59 番に「やすらはで寝なましものを小夜 (さよ) ふけて かたぶくまでの月を見しかな」があります。
左にや袂 (たもと) の玉も 結ぶらん 右は菖蒲 (あやめ) の根こそ浅けれ
(参考文献 :『榮華物語 下巻』與謝野寛, 正宗敦夫, 與謝野晶子 編纂校訂. 日本古典全集刊行会, 1927.)小大君 (こだいのきみ、生没年未詳) は平安時代中期の女流歌人。赤染衛門と同じく、 藤原公任(ふじわらのきんとう) の「三十六人撰」に選ばれている 36 人の歌人のうちのひとりです。
沼ごとに 袖ぞぬれぬる あやめ草 心にに (似) たる ね (根) を もとむとて
返し、女くるしきに なに (何) もとむらん あやめ草 あさかの沼に おふとこそきけ
解説 :
くるしきに云々
あさかの沼は、陸奥国なる浅香沼なり。それに思ふ心の浅き意をかけたり。
(参考文献 :『女流文学叢書. 第2編』広池千九郎 等校訂標註. 東洋社, 1902.)
夫木和歌集 (ふぼくわかしゅう) 、または夫木和歌抄 (ふぼくわかしょう) は、鎌倉後期の私撰和歌集です。藤原長清 (ふじわらのながきよ、生没年未詳) の編纂で、1310 年頃に成立しました。 36 巻に収められている歌は 一万7000 首余。
見渡せば あやめにすがる Samidareの 軒の雫や けふのくす玉 正三位季經卿
(参考文献 :『校注 國歌体系 第 22 巻 夫木和歌抄』国民図書 編纂, 国民図書, 1930.)正三位季經 (藤原顕季 : ふじわらのあきすえ) は、平安時代後期の歌人。1055―1123年。
桜町天皇は江戸中期の天皇で、在位は 1735 - 1747 年。ちょうど、暴れん坊将軍で有名 (?) な、徳川吉宗時代になります。 大嘗祭の再興など、古代の朝儀復興に力を注いだ事で有名です。享年 31 歳。和歌を好み、いくつかの歌集がのこされています。
をりにあふ よそひもすずし 殿の裏の 母屋の帳に かくる續命縷
(参考文献 :『列聖全集 御製集 10』列聖全集編纂会 編. 列聖全集編纂会, 1917.)Mio さんの作。撰。
まだあるよ もっとできるよ 声がする くす玉たちが 今日もうるさいやばい人 Mio Tsugawa
レポート : 2012年 5月 25日
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