広辞苑第五版 の「薬玉」の項目、「平安時代に盛んに贈答に用いた」という解説を読むと、
じゃぁその後はどうだったんだ ?
などと「余計な詮索」さんが、暴れだします。

現在、端午の節句に薬玉を贈り合う習慣は、たぶんあまり見つからない、ひょっとすると日本のどこにも残っていないんじゃぁなかろうか。と、思っています。
はたしてこの習慣がいつ頃まで続いたのか、およそ 千年以上前まで遡って、しゅるしゅるっと古記録を辿ってみたいと思います。

端午の節句に薬玉を贈り合う習慣は、日本には残っていませんが、本場中国では、今でも端午の節句に長命縷を身につける習慣があります。台湾にもあります。 長命縷とは

かっちょよく副題をつけてみました

記事は、その日一日の記事ではなく、薬玉の前後のところだけ抜粋してあります。

まずは 約千年前の平安時代。
この頃の古記録は、薬玉を賜るイベントの様子が書かれていることが特徴です。

延喜元年 (901 年) 五月
五日、辰三剋、御武徳殿、儀式如常、 但給藥玉、 内侍四人、藏人十三人、不足四人者再出給云々、 ◦ 西宮記裏書 (醍醐天皇御記)
延喜十三年 (913 年) 五月
五月
五日丙午、糸所供藥玉 常、 去年九月茱萸、 以藥玉替懸、差御柱前例也 ◦ 河海抄 (醍醐天皇御記)
延長三年 (925 年) 五月
五日丙申、書司立菖蒲瓶、糸所奉 命縷常、 ◦ 河海抄 (醍醐天皇御記)
延長五年 (927 年) 五月
五日、節會如例、但依雨濕謝座酒禮、而賜 藥玉間頗噪、仍拜舞如例、 (貞信公記)
天慶七年 (944 年) 五月
五月五日の節會
女藏人十二人取續命縷、出從御座北、進於御前東庇、 西面烈 (列) 立、第一者留立南第四間、 式部卿一品敦實親王 件親王雖不候烈 (列)、依有先年宣旨昇從掖着座、 幷今朝預烈 (列) 親王三人 (重明 · 有明 · 章明) · 納言三人 (顕忠 · 元方 · 師輔) · 參議五人 (高明 · 保平 · 庶明 · 在衡 · 師氏) 一〻給續命續 (縷) 、小拝下殿、 (九條殿記)
天禄三年 (972 年) 五月
五月 (さつき) に成 (な) りぬ。 菖蒲 (しょうぶ) の根 (ね) (なが) きなど、 此處 (こゝ) なる若 (わか) き人 (ひと) (さわ) げば、徒然 (つれ〳) なるに、取 (と) り寄 (よ) せて貫 (つらぬ) きなどす。 (蜻蛉日記)
天延二年 (974 年) 五月
簀子 (すのこ) に助 (すけ) と二人 (ふたり) (ゐ) て、天下 (あめがした) の木草 (きくさ) を 取 (と) り集 (あつ) めて、 珍 (めづ) らかなる藥玉 (くすだま) せむ等 (など) (い) いて、急遽 (そゝく) り居 (ゐ) たる 程 (ほど) に、此 (こ) の頃 (ごろ) は 珍 (めづら) しげ無 (な) う、郭公 (ほとゝとぎす) の 群 (むらが) りてぞ 此處 (ここ) に下 (お) り 居 (ゐ) たるなど云 (い) ひ 喧呼 (のゝし) る聲 (こゑ) なれど、空 (そら) を 打翔 (うちかけ) りて、二聲 (ふたこゑ) 三聲 (みこゑ) きこえたるは、身 (み) に沁 (し) みて をかしう 覺 (おぼ) えたれば、山郭公 (やまほとゝぎす) 今日 (けふ) とてやなど、云 (い) はぬ人 (ひと) (な) うぞ 打遊 (うちあそ) ぶめり。 (蜻蛉日記)
天元五年 (982 年) 五月
五日 甲丙 午時許參宮、大夫被參定行啓雜事、 定間左相府被御座之、典藥寮進菖蒲舁立御前庭中、糸所進藥玉置中取、彼所女官相扶參上立御前簀子敷、 (小右記)
永觀三年 (985 年) 五月
五日 己酉 今日府眞手結、稱障不着、
參殿、蹔參院及宮、女官調藥玉、志小兒、頗有壽言云云、與小祿云々、 (小右記)
寛弘二年 (1005 年) 五月
五日。壬子。參所者。藥生持來。賜祿。從中宮。 齋院被奉藥生。云云。師被來。與人作文。絕韻耳。 (御堂関白記)
(「藥生」は「藥玉」の間違いだと思われます)
寛治七年 (1093 年) 五月
五日、辛巳、忌夜行、忌夜行、
都芳門院根合
朝間天隂、巳刻日脚有纔、二位宰相中將 (藤原経實) 來臨、相逢言談之次令申云、 九尺許昌 (菖) 蒲根候之由所承候也、余答曰、根本自所未求也、僻事欤、藥玉有二尺許、 與根相具獻齋院云ゝ、 (後二条師道記)
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ここで引用の「猪隈関白記」「経光卿記」の日記は、具注暦にかかれたものです。具注暦とは陰陽寮で作製された漢文の暦本のことで、干支や七曜、月令、歳位、吉凶などが詳しく注記されています。行間の空白や裏面を利用して、しばしば日記が書かれたそうです。

建久元年 (1190 年) 五月
五日、進藥玉、 又進昌蒲、 御樂湯事有沙汰、 内々供大盤所 (玉葉)
建久二年 (1191 年) 五月
中宮御方御節供、内々從臺盤所之、 是例也、藥玉餝御帳、六位進奉行也、 (玉葉)
正治元年 (1199 年) 五月
藥玉 御節供 内藏寮酒肴 内膳司供早瓜 左近騎射
「太禍」「月星」五日、丙申、水平 沐浴「神吉」    大歳位、小歳前、無翹、血忌、 復解除 · 移徙吉
「天間」「寅卯午申酉戌亥」
圓宋寺御八講始 四日
(猪隈関白記)
正治二年 (1200 年) 五月
藥玉 御節供 内藏寮酒肴 内膳司供早瓜 左近騎射
「土星」五日、乙未、火除 「神吉」    大歳對、無翹、 解除 · 壊垣吉
「甘露 三寳吉 不問疾」「寅卯巳午未申戌子丑」
圓宋寺御八講始 四日
(猪隈関白記)
建仁元年 (1201 年) 五月
藥玉 御節供 内藏寮酒肴 内膳司供早瓜 左近騎射
「木星」五日、甲寅、水成 除足甲    大歳位、母倉、歸忌、 加冠 · 拜官 · 入學 · 修磑 · 殯埋 · 斬草吉
「三寳吉 土公入」「寅卯巳未申戌亥子丑」
円宋寺御八講始 四日
(猪隈関白記)
建仁二年 (1202 年) 五月
藥玉 御節供 内藏寮酒肴
内膳司供早瓜 左近騎射

「太禍」「月星」五日、戊申、土平 小暑至、沐浴「神吉」    大歳對、小歳後、血忌、無翹、 解除 · 〃服吉
「三寳吉 土公遊西 不視病」「辰巳午未申酉戌丑」
円宋寺御八講始 四日
(猪隈関白記)
建仁三年 (1203 年) 五月
藥玉 御節供 内藏寮酒肴 内膳司供早瓜 左近騎射
「蜜」「日星」五日、壬申、金滿 沐浴「神吉」    大歳後 祠祀 · 移徙 · 經絡 · 解除 · 葬 · 斬草 · 除服吉
「寅辰巳午未酉戌亥子」
円宋寺御八講始 四日
(猪隈関白記)
承久元年 (1219 年) 五月
雑事吉 藥玉 御節供 内藏寮酒肴 内膳司供早瓜 左近騎射
「火星」五日、己亥、木執 沐浴「神吉」    大歳位、歳德合、重 裁衣 · 市買 · 納財吉
「寅卯巳午申戌子丑」
円宋寺御八講始 四日 同常行堂御念佛 三日

天晴、
有節供事如恆、陪膳文章博士淳高 (菅原) 朝臣、 (猪隈関白記)
貞應元年 (1224 年) 五月
藥玉 御節供 内藏寮酒肴 内膳司供早瓜 左近騎射
「狼藉」「水星」五日、壬子、木破    陰陽衝撃、厭對
「大將軍遊北」  「寅辰巳未酉戌亥子」
圓宋寺御八講始 四日 同不斷御念佛 三日

天晴、 (猪隈関白記)
安貞元年 (1228 年) 五月
藥玉御節供、内藏寮酒肴、内膳司供早瓜、左近騎射
「三吉」
「蜜 日星」五日、癸未、木除「伐」  大歳後、天恩、天翹、 復結婚 · 納徴吉
円宋寺御八講始、四日、同不斷御念佛始、三日
(経光卿記)
寛喜三年 (1231 年) 五月
藥玉御節供、内藏寮酒肴、内膳司供早瓜、左近騎射
「星 金」五日、庚寅、木成 鵙始鳴、除足甲   大歳前、母倉、歸忌加冠 · 拜 ␣ 、
「三吉」
円宋寺御八講始、四日、同不斷御念佛始、三日
(経光卿記)
貞永元年 (1232 年) 五月
藥玉 御節供 内藏寮酒肴 内膳司供早瓜 左近騎射
「水星」五日、乙酉、水定 小暑至、「神吉」「伐」    大歳前、小歳對、月德合 嫁娶 · 納婦 · 移徙 · 出行 · 剃頭吉
「寅卯辰午申亥子丑」
圓宋寺御八講始 四日 同不斷御念佛始 三日

天晴、 (猪隈関白記)
天福元年 (1233 年) 五月
藥玉御節供、内藏寮酒肴、内膳司供早瓜、左近騎射
「滅門 火星」五日、乙酉、土平「神吉」上、沐浴 大歳對、天恩祠祀吉
「三吉、天一丑寅、不問疾」
円宋寺御八講始、四日、同不斷御念佛始、三日
(経光卿記)
寛元四年 (1246 年) 五月
藥玉御節供、内藏寮酒肴、内膳司供早瓜、左近騎射
「火星」五日、壬戊、水定「伐」   大歳對裁衣 · 市買 · 納財吉
円宋寺御八講始、四日、同不斷 ␣ 念佛始、三日
(経光卿記)
建長 (1251 年) 五月
五月五日、所々より御かぶとの花、藥玉などいろ〳に多くまゐれり。 (増鏡)
文永四年 (1267 年) 五月
藥玉御節供、内藏寮酒肴、内膳司供早瓜、左近騎射
「蜜 日星」五日、辛卯、木開 大歳位、小歳前、母倉
円宋寺御八講始、四日、同不斷御念佛始、三日 (経光卿記)
文保元年 (1317 年) 五月
[五日、庚午] 晴、 關白 (二條道平) 進菖蒲藥玉、有和哥二首、
(花園院宸記)
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室町時代の節供になると、薬玉や菖蒲酒の他に、「菖蒲枕」や「風呂」などが登場するようになります。

室町時代の南北朝時代は、朝廷が南朝 (吉野朝廷とも。大覚寺統) と北朝 (持明院統。足利氏が擁立) に分かれて争った時代です。 登場してもらった「師守記」の著者、中原師守 (なかはら もろもり) は北朝の権少外記です。

また、ここでは割愛していますが、キング オブ 薬玉古記録 で華々しく活躍してもらった「看聞日記」は、南北朝が統一され、戦国時代が始まるまでの間に書かれた日記 (1416 - 1448 年) で、区分するなら たぶん この時代になるんじゃなかろうかと思っています。

暦應三年 (1340 年)
藥玉 春日神木動座にて歩射省略 節句 風呂

五日、丁卯巳、天晴、入夜吹風、丑剋以降雨降、 今朝踏露藥玉如例、幸甚ゝゝ、於歩射被略之、依神木動坐也、 一瓶 (? 瓦 + 并 です) 納所之出銭等者、如例下行二人等了、 御節供如例、友阿沙汰進之、御風呂同有之、幸甚 ␣ ␣ (ゝゝカ) (師守記)
康永元年 (1342 年) 五月
節供
五日、乙亥、天晴、及暁 (マヽ) 夕立、不雷鳴、
今日節供如例、左衞門大夫道 ␣ (友) 阿沙汰進之、 予方同前也、幸甚ゝゝ、

風爐 藥玉
今日有風爐如例、藥玉等如例、幸甚ゝゝ、 (師守記)
康永三年 (1344 年) 五月
藥玉
五日、癸巳、天隂雨降、藥玉如例、
今日文殿庭中衆無人、散狀被付執權卿 (勸修寺經顯) 、無人之上、定延引欤、 但可伺申云〃、仍家君無御參、

節供
今日私御節供如例、 (師守記)
康永四年 (1345 年) 五月
風爐
五日、戌子、朝間雨降、無程晴、今日風爐如例、

藥玉昌蒲枕
今日家君 · 御䉼人 (師守姉) · 予不付藥玉、其外人〃悉付之、 菖蒲枕家君已下面〃在之、先例、

節供
(頭書) 「内御方 · 春宮御方節供如例云〃、」
今日御節供如例、友阿調進之、御出居 三斗菜三種、鯉一有酒 · 禪尼御方三斗菜五種 日來不違、有酒、 · 内〃三斗菜五種、有酒、 · 予方 一斗菜三種、一瓶、如先人御時、 (師守記)
貞和二年 (1346 年) 五月
五日、癸未
内裏節供
天陰、␣ (申) (剋) 乙後雨降、 今日内御方 · 春宮御方、御節供如例、自寮家被下行之、
殿中節供如例、␣ ␣ ␣三斗菜五種一瓶、御出居三斗 ␣ (三) 種一瓶、 予方一斗三種 ␣ ...... ␣

藥玉
菖蒲枕
␣ ...... ␣ ␣ (家 君カ) ...... ␣ 不付藥玉、其外人〃悉付 ␣ ... ␣ 於菖蒲枕者、 ␣ (家カ) 君己下 ␣ ... ␣ ␣ 之、先例也、
(師守記)
貞和三年 (1347 年) 五月
五日、丁未、
節供
天晴、今日節供、出居被行之、

歩射
今日歩射如例、憚以降、今年始被射寮庭了、寮使下行物如例年、

風爐藥玉
今日被構風爐、藥玉如例、 (師守記)
貞和五年 (1349 年) 五月
五日、乙未、
藥玉
天晴、今日藥玉如例、

風爐
今日私節供被略之、依不具欤、於風爐者如例有之、 (師守記)
貞治三年 (1365 年) 五月
風呂なし
五日、戊辰、天晴、今日不被構風爐、依破損也、予不及行水也、

藥玉
今日藥玉如例、愚息大炊權助師豐古祢助敎殿妻 · 赤子等不付之、 依重服也、次郎五歳、予末子也、
依七歳以前、無服付之、予次郎兩人藥玉所望大方之間、給之、

節供の沙汰なし
今日節供不及沙汰、依不具也、
今日内御方御節供無沙汰、兼日不及被仰寮家也、近年如此、 (師守記)
貞治四年 (1366 年) 五月
風呂なし
五日、癸亥、天陰、申斜以降雨、終夜甚雨、今日不被構風爐、依破損也、予不及行水也、

藥玉
今日藥玉如例、

節供の沙汰に及ばず
今日節供不及沙汰、依不具也、
今日内御方御節供無沙汰、兼不及被仰寮家也、近年如此、 (師守記)
貞治六年 (1368 年) 五月
風呂を構へず
洗髪せず

␣ ␣ (五日) 、庚辰、天晴、今日不被構風呂、依破損也、家君 ␣ ...... ␣ 許、 不洗髪也、湯自大方无之、於予方致沙汰 ␣ (了カ) ␣ ...... ␣ 如例、 侍從依重服不付之、昌蒲 (マゝ) 枕者用之、

藥玉
␣ ...... ␣ 女コウニ御䉼 不被付藥玉、依服解也、昌蒲 (マゝ) 枕ハ被用之云〃

節供の沙汰なし
␣ 日節供不及沙汰、依不具也、
(師守記)

キング オブ 薬玉古記録の看聞日記 (かんもんにっき、1416 - 1448 年) が書かれた年代は、ちょうどここらへんになります。 キング オブ 薬玉古記録

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この時代から、江戸後期まで 約 350 年書き継がれる「御湯殿上日記」が登場します。薬玉の記事も多く、 薬玉配達人 (薬玉をデリバリーした人、伝奏など) 、そして配達先に関する情報もあります。

看聞日記には幾度と無く登場する配達先ですが、要するに、公家 (朝廷側) と武家 (幕府側) の間で薬玉を贈答しあっていたという興味深い記録と言えます。

文明十年 (1478 年) 五月
  • 四日。
    ふしみ殿よりこよひ御くすたままいる。 (御湯殿上日記)
  • 五日。
    むろまちとのへ御くすたま 昨日御とく日にて。けさとく まいらせらるゝ。御つかゐ も (ひカ) ろはし。かしこまり御申あり。庭田より まきまいる。ふしみ殿御まいり。へちに 御さか月まいる。ひる より秋まいる。 (御湯殿上日記)
文明十二年 (1480 年) 五月
四日。
なかたね 御まくらの うすやう まいらする。 ふし見殿より御くす玉 まいる。御けつり御くし 新内侍殿。 この御所より むろまちとのへ御くす玉 まいる。 御つかひ くわんしゆ寺。山くにの まきまいる。とし〵のことく御くはりあり。 (御湯殿上日記)
文明十三年 (1481 年) 五月
  • 四日。
    山くにの まき いつものことく まいりて。御くはりともせらるゝ。ふしみとのより御くすたま ゝいる。御わかんあり。 御人すつねのことし。なかたね しやうふの御うすやう まいらする。けさとく しやうふふき まいらする。 (御湯殿上日記)
  • 五日。
    けふ 御ゆも大す御まいり。御とん〳 いつものことく まいる。ふしみとのより御 ␣ ...... ␣ 御つかゐ 御申あり。 むろまち殿への御くすたま。いつも昨日 ␣ ...... ␣ まいらせらるゝ。 御とく日にて。けさとく てんそう 御つかゐにて まいらせらるゝ。けふよりの 御きぬ大すけ殿なり。 (御湯殿上日記)
文明十四年 (1482 年) 五月
  • 四日。
    新くら人 御しやうふの 御うすやうまいる。ふしみ殿よりくすたま まいる。 しんせう寺殿 ひさしき御もうきにて 御心くるしき御ことにて。 昨日より へちして御かちの人なと まいらるゝに。 (御湯殿上日記)
  • 五日。はるゝ
    むろまちとのへの 御くすたま 昨日 御とく日にて けさとくまいらせらるゝ。 ことしより 大納言殿へまいる。御しうちやく 御申あり。あさ御さか月まいる。なかはしより まきまいる。 宮の御方よりも まいる。御せん (っ) く いつものことし。御いわゐには 御まなまいる。御ゆに大す御まいり。 (御湯殿上日記)
文明十五年 (1481 年) 五月
四日。
いつものことく御くはりせらるゝ。御ちきむによりかすまいりて。ないないの おとこたちにもたふ。これは ことしは かりなとの御さたなり。 しやうふのかすも そひてまいる。なかたね まき五十。たけのこ まいらする。御くすたま ふしみ殿よりまいるを。 宮の御方へ まいらせらるゝ。大納言とのへ御くすたま てんそう御つかゐにて まいらせらるゝ。 御しうちやくのよし御申。しやうふの御うすやう いつものことく 新くら人まいらする。 (御湯殿上日記)
文明十六年 (1482 年) 五月
四日。
山くにのまき 御くはりともあり。御くす玉 むろまちとのえ まいらるゝ。ふしみ殿より ことしはまいらす。 宮の御かたへ させられて。はくの二位より さかひてまいる。 (御湯殿上日記)
文明十七年 (1483 年) 五月
四日。ふる。
御わかんあり。らんは。おとこ。そうたちあまたしこう。御てんしん。こんまいる。 むろまち殿より まきまいる。御くす玉 とし〳のことく てんそうして まいらせらるる。 山くにの まきまいる。 いつものことく 御くはりせらるゝ。 (御湯殿上日記)
文明十八年 (1484 年) 五月
四日。
けさいつものことく しやうふふく。山くにより まき色〳 いつものことくまいる。御くはり こそのことし。上かたより二百まいらせらる。 せんくわん院へつかはさるゝ。むろまちとのへ御くすたまくわんしゆ寺御つかひにてまいる。 なかたねよりまき五十まいる。 (御湯殿上日記)
文明十九年 (1485 年) 五月
四日。あしたふる。
くら人よりしやうふの御うすやうまいる。むろまちとのえ御くすたま てんそう 御つかひにてまいる。 ゆきかすのち行の所 ひさしく見えさるに。ことしのほりてしうちやくとてまき三十まいる。 (御湯殿上日記)
長享二年 (1488 年) 五月
四日。
四つしの中納言。ありかすなり。しやうふ ふかれ事ないし所はかりにて。こなたの御てんともは ふかれす。 御くすたまを むろまちとのへまいらす。ふな木の御れう所の 御代くわん まき二百まいらする。 はしめて まいりて めてたし。 (御湯殿上日記)
延德二年 (1490 年) 五月
  • 四日。
    さまの督とのゝ御くす玉 まいらるゝ。 御つかゐ てんそう。ふしみとのより御くすたま まいる。宮の御方へ まいる。山くにの まきまいる。 とし〳のことく 御くはり せらるる。新くら人より しやうふの御うすやうまいる。ゆきかすより しやうふまいる。 (御湯殿上日記)
  • 五日。
    しやうふの御こしゑしおき まいらする。しもかわら殿より まきまいる。三宮の御方。しもかわら殿。ひめ宮御ふた御所へ御くすたま。御ふくとも まいる。あさ御さか月 まいる。あさかれゐ めゝすもし御まわり。御せつく いつものことし。 あんせん寺殿 御いちこ まいる。 (御湯殿上日記)
延德三年 (1491 年) 五月
四日。
はくより にしの宮のとてまき 三十まいる。左衛門すけよりも 二十まいる。いつもの御わかんあり。山くにのまきもまいる。としとしのことくなり。むろまちとのえ御くす玉 御つかゐ てんそうしゆつし ふくとてなきにより。もり光におほせらるゝ。御返事御かしこまり御申。 御所〳ゑも まいらせらるる。むろまち殿より しろ御うりはしめてまいる。ふしみ殿より御くすたままいる。宮の御方へ御ふくにそ ひてまいらせらるゝ。新くら人 しやうふの御うすやうまいらする。

[頭書]  しもかはら殿よりも まきまいる。かん侍從よりも いつものことく まいる。 上らふより御くすたま まいる。二宮の御かたなる。

(御湯殿上日記)
延德四年 (1492 年) 五月
  • 三日。
    むろまちとのへの御くす玉 こよひより 御にほひ せらるゝ。 (御湯殿上日記)
  • 五日。
    しやうふの御うすやう 新くら人より まいる。御まくら つつまれておかるゝ。 むろまちとのへ御くすたま てんそうのしゆつしなきにより もり光ちんゑつかはされて。 まいらすへきよし おほせらるゝ。御所〳ゑの御くす玉。 御ふくもまいる。ふしみとのより御くす玉 まいる。宮の御かたへ 御ふくにそひてまいらせらるゝ。 けいはの御あふき いたさるゝ。 (御湯殿上日記)
明應二年 (1493 年) 五月
  • 四日。
    むろまちとのへ御くす玉 てんそう御つかいにて とし〳のことく まいらせらるる。 御しうちやくのよし御申。ふしみとのより御くすたま まいる。 宮の御かたへ まいる。しやうふの御うすやう新くら人まいらする。 (御湯殿上日記)
  • 五日。
    あさ御さか月まいる。上らふの御方より御くすたままいりて。 御ふくにかけまいらする。しもかはら殿より まきまいる。 けふの御ゆ。あしたの御ゆに 御しやうふ入て めす。

    [頭書] 御はいの御代くわんかねともの卿けさに (まカ) て申。 雨ふる。あさかれゐ上らふ御まいり。

    (御湯殿上日記)
明應三年 (1494 年) 五月
四日。
しやうふの 御うすやう 新くら人まいらする。むろまちとのへ御くすたま てんそう 御つかゐにて まいらせらるる。御ふたわか宮へもまいる。 宮の御かたへ 御ふく二色まいる。ふしみとのより御くすたま まいる。 宮の御かたへ まいらるゝ。きやう部卿よりも まきまいる。

[頭書] けいはの御あふきいたさるゝ。あつたの御代くわんよりさいりまいる。

(御湯殿上日記)
明應五年 (1495 年) 五月
  • 四日。
    いつもの御くわいあり。宮の御方ならします。はんせう御まいり。 ふし見とのよりいつもの御くすたままいる。 御返事あそはして 御申あり。下かわらとのよりまきまいる。 (御湯殿上日記)
  • 五日。
    あさ御さか月まいる。御ゆめす。上らふ御ゆとのへ ひとりまいる。こよひの御さか月 いつものことし。 こんゑとのより やまもも一おりまいる。あさかれゐ大すもし。中内御まわり。 むろまちとのへ御くすたま 昨日御とく日にて けさまいる。

    [頭書] りんしの御はゐになる。

    (御湯殿上日記)
明應六年 (1496 年) 五月
四日。
二宮の御かたより なてしこまいる。ふしみとのより とし〳の御くすたま まいる。 下かはらとのより まきまいる。五てうよりも いつものまきまいる。山くにのまきとし〳のことく 御所〳御くはりともゝせらるゝ。しやうふの 御うすやう 新くら人よりまいる。 すゝきかめ丸よりもまきまいる。

[頭書] けさとく御てんに しやうふふき まいらする。新ないし殿きよしへ御まいり。御宮けまいる。

(御湯殿上日記)
明應七年 (1497 年) 五月
  • 四日。
    三まんたゐの大し御おしあり。宮の御かたなる。庭田。ためさねしこう。御くやう ふしみへつかはさるゝ。 する〳とめてたくて 御さか月まいる。大しやう寺殿より いちこ まいる。

    [頭書] りんしの御はゐにけさまて三日なりてめてたし。 御さか月まいる。なかはしより 御たる まいる。むろまち殿へ御くすたま まいらせらるゝ。 御つかいてんそう。

    (御湯殿上日記)
  • 四日。
    きよしへ大すもし御まいり。御くま。御こふまいる。はくよりまきまいる。いつもの御れん哥あり。 下かはらとのよりまきまいる。ふしみ殿より御くす玉まいる。 山くによりまきまいりて御所〳。はう〳の御くはりあり。新くら人よりしやうふの御うすやうまいる。 (御湯殿上日記)
明應八年 (1498 年) 五月
四日。
はくより しやうふのねまいる。むろまちとのへの御くす玉 御れう所まいらぬにより ことしはまいらす。 ふしみ殿よりのこれも 御れう所ゆへ おほせつけられぬとて代にてまいる。 返しまいらせらるゝ。御やうきうあそはす。こかの大臣のはゐかとて御たる三か。二色まいる。 新くら人 しやうふの 御うすやうまいらする。こよひ 御まくらにおかるゝ。山くにのしやうふ。よもき。 むしろに下におかるゝ。 (御湯殿上日記)
永正九年 (1512 年) 五月
  • 四日丁丑 霽、遣藥玉一流 於伯子息小男了、
    西向及昏被歸、 (実隆公記)
  • 五月五日、戊寅、晴、及晩夕立、頻雷鳴風吹、
    畠山式部少輔 (瀬光) 為御使、 從大樹久數 (藥) 小童ニ被送之、クンヱカウ袋十被送門主 (良馨) 、御懇之儀、祝著之由、予幷門跡、小童令對面申之、勸一盞、
    ◦ 實隆、藥玉ヲ神祇伯雅業王ノ子某ニ贈ルコト、便宜左ニ合敍ス、 (尚道公記)
大永八年 (1529 年) 五月
五日。
ふけへ御くすたま まいる。御つかゐ くわんしゆ寺大納言 まいる。 御しうちやくのよし申さるゝ。かんろし中納言御やうきう ␣ ...... ␣ 君しらす。 けり〳のはなと しん上あり。あさ御さか月 まいる。こよひの御さか月 いつものことし。 (御湯殿上日記)
享祿三年 (1530 年) 五月
  • 四日。
    しうちやくのよし申されて なかはしまて 御れいにまいらせらるゝ。 御まくらのうすやう。ものかわ。くら人よりまいる。 ふけへ御くすたま まいる。御つかいひろはし。 (御湯殿上日記)
  • 五日。
    まきまいる。御所〳へ御ふく。御くすたま まいる。しゆんこう御まいり。 御さか月 まいる。 (御湯殿上日記)
享祿四年 (1531 年) 五月
五日。
御うし二ゐ殿より まいる。ふけへ御くすたま まいる。御つかい左中弁。 あさ御さか月まいる。こよひの御いわゐも いつものことし。 宮の御かた。ふしみ殿なる。三ゐ殿よりまきまいる。御ゆする新大すけまいる。 (御湯殿上日記)
享祿五年 (1532 年) 五月
五日。
あさ御さか月。こよひの御いわゐ。いつものことし。御くし大すけ。 宮の御かたへ御くすたま。御ふくまいる。御かつしき御所へも 御ふくまいる。けいはに。 やす久に御あふきいたさるゝ。大すけ まきまいる。
(御湯殿上日記)
天文二年 (1533 年) 五月
  • 三日。
    しゆんこう御まいり。あふみの ふけへ御くすたま まいる。 頭弁御つかいなり。れう光寺と (よカ) り御ちや。御くわんしゆまいる。のふはる かきつはた しん上。 (御湯殿上日記)
  • 五日。
    宮の御かたへ御ふく。御くすたま まいる。あさ 御さか月 まいる。こよひの御いわゐも いつものことし。 しやうふの 御ゆめさします。すいれう寺より とし〳の御うちはまいる。 (御湯殿上日記)
天文三年 (1534 年) 五月
五日。
あさ 御さか月 まいる。こよひの 御いわゐも いつものことし。 御ゆする 新大すけまいる。くらのかみ とし〳のひわ しん上。けふより りんしの 御はいにならします。 ふけへ御くすたま まいらせらるゝ。ひろはし 御つかひ。 (御湯殿上日記)
天文五年 (1536 年) 五月
五日。
宮の御かたへ 御ふくまいる。なかはしより 御くすたま まいる。 ふけへ御くすたま まいらるゝ。御つかひ ひろはし中納言なり。 あさ 御さか月 まいる。こよひの御いわゐ いつものことし。宮の御かた。ふしみ殿なる。大すけ まきまいる。 (御湯殿上日記)
天文七年 (1538 年) 五月
五日。
あさ 御さか月 まいる。こよひの御いわゐも いつものことし。宮の御かた。ふしみ殿 御まいり。 御ゆする すけ殿 御まいり。ふけへ御くすたま まいる。 あやめの御あやめの (衍カ) 御まくらの うすやう ためなか しん上。 (御湯殿上日記)
天文八年 (1539 年) 五月
五日。
あさ 御さか月まいる。三ゐ殿より まき まいる。上らふより 御くすたま まいる。 ふけへ 御くすたま いつものことく まいらせらるる。 御つかい くわんしゆ中納言。御しうちやくのよし 申さるゝ。 (御湯殿上日記)
天文九年 (1540 年) 五月
五日。あさ 御さか月 まいる。ふけへ御くすたま まいる。御つかい くわんしゆし。 御ゆする 新大すけ まいる。一せうゐん殿より 三色五か まいる。三ゐ殿より まきまいる。いよ殿よりも まいる。 (御湯殿上日記)
天文十年 (1541 年) 五月
五日。
御ゆにならします。大すけ まいる。ふけへ御くすたま まいる。 御つかひ ひろはし中納言。こよひの御さか月 いつものことし。しやうれんゐん殿より さすの御れいに。 三かう三かまいる。はくより まきまいる。上らふより まきまいる。 (御湯殿上日記)
天文十一年 (1542 年) 五月
五日。
あさ 御さか月まいる。こんすけ殿より こもし。まきまいる。こよひの御いわゐも いつものことし。あさかれい こんすけ殿。 藤ないし殿。いよ殿 御まわりあり。ふけへ御くすたま まいる。御つかい くわんしゆ寺。 御ゆする 新大すけ殿。かものもり。けいはに 御あふきたふ。 (御湯殿上日記)
天文十三年 (1544 年) 五月
三日、辛丑、天晴、戌刻より雨降
織手遠山右京進 所より、 くす玉の糸五色如例年進了、同井上三色つヽ二包出之、例年五色之處、如此之間是者返遣了、 (言継卿記)
天文十四年 (1545 年) 五月
五日。
かものもり けいはに 御あふき申いたす。こよひの御いわゐ いつものことし。はくより まきまいる。 むろまちとのへ御くすたま まいる。御つかひ ひろはし。 (御湯殿上日記)
天文十五年 (1546 年) 五月
五日。
あさ 御さか月まいる。こよひの御いわゐ いつものことし。 むろまちとのへ御くすたま まいらせらるゝ。 御つかい ひろはし。はくよりまきまいる。 (御湯殿上日記)
天文十六年 (1547 年) 五月
五日。 あさ 御さか月まいる。こんすけ殿より まきまいる。こよひの御さか月 いつものことし。 宮の御かたなる。ふけへ御くすたま まいる。 御つかい ひろはし。 (御湯殿上日記)
天文十七年 (1548 年) 五月
  • 四日。
    あやめふき まいらする。ていけんゆり しん上。すけ殿より やうかんまいる。 ふけへ御くすたま まいる。御つかひ ひろはし。新大すけ まきまいる。 (御湯殿上日記)
  • 五日。
    ひめ宮 御かたなる。御ゆに ならします。こよひの御さか月 いつものことし。 上らふより御くすたま まいる。はくより まきまいる。 (御湯殿上日記)
天文十八年 (1549 年) 五月
五日。
あさ 御さか月まいる。ふけへ御くすたま まいる。御つかい ひろはし新中納言。新大すけ まきまいる。 御ゆする 新大すけまいる。 (御湯殿上日記)
天文二十一年 (1552 年) 五月
  • 五日、丁亥、天晴
    今日參賀公家烏丸、予、廣橋黄門、自禁御くす玉持參、 (言継卿記)
  • 五日。あさ 御さか月まいる。こよひの御いわゐ いつものことし。御くすたま ふけへまいる。 御つかひ ひろはし中納言。御ゆに ならせおはします。御ふたとも まいる。 (御湯殿上日記)
天文二十二年 (1553 年) 五月
五日。
御くすたま ふけへまいる。御つかひ ひろはし中納言。かたしけなきよし申さるゝ。あさ 御さか月まいる。わか宮の御かたなる。 ひめみやの御かたもなる。御みやけに三色二かまいる。こよひの御いわゐ いつものことし。 (御湯殿上日記)
天文二十三年 (1554 年) 五月
五日。
りんしの御はいけふまて。めてたしめてたし。あつ (衍カ) さ 御さか月まいる。 御ゆに ならせおはします。こんすけ。なかはしよりもまきまいる。ふけへ御くすたま まいる。 はるはると 一たん かしこまり まいらせられ候よし 申さるゝ。こよひの御さか月 いつものことく まいる。めてたし〳。 (御湯殿上日記)
天文二十四年 (1555 年) 五月
四日。
あやめふき まいらする。はくより まきまいる。ふけへ御くすたま まいる。 (御湯殿上日記)
永祿二年 (1559 年) 五月
五日。ふけへ いつもの御くすたま まいる。御つかゐ ひろはし大納言との。いつものことく あさ 御さか月まいる。 夕さりの 御さか月には わか宮のかた ならしまし候はす候。 (御湯殿上日記)
永祿三年 (1560 年) 五月
五日。
雨ふる。まきの 御くはり くれ過て。 御所御所。女中。おとこたちへけさあり。わか宮の 御かたへ 御かたひら。 御くすたま まいる。ふけへ御くすたま まいる。御つかい くわんしゆ寺一位。たゝとよ。 ゑもんのかみろう花かきて まいる。こよひの御さか月 いつものことし。 (御湯殿上日記)
永祿四年 (1561 年) 五月
五日。
かものもり けいはの 御あふき とし〳のことく いたさるゝ。しやうふの御ゆ まいる。あさ御さか月 いつものことくまいる。 あさかれいは いよ殿 さしあいしてまいらす。夕かたの 御さか月いつものことし。おとこたちまいらるゝ。 わかみやの 御かたならす。 ふしみ殿よりはなまいりて。めてたさ申さるゝ。すけ殿。なかはしまきまいる。 ふけへ御くすむ (玉) まいる。御つかい ひろはし大納言殿。 御所御しやうそくいてきて。五つしにいたされて。御さか月に まいる。ひしやもんたうなかの院 ちこ つれてまいらるゝ。 わかみやの御かた御くすむ (玉) 。御かたひら 御ふく。 御おひまいる。く御の御ふくもまいる。御くすたまも。御あせのこひ まいる。 (御湯殿上日記)
永祿五年 (1562 年) 五月
五日。
あさ 御さか月まいる。わかみやの 御かた 御ふく。御くす玉 まいる。 くろ田よりまきまいる。ことしは くろ田はかりより まいるとて。ふしみ殿はかり。女中みな〳 御くはりあり。 めてたし〳。 (御湯殿上日記)
永祿六年 (1563年) 五月
五日。
いつものことく あさ 御さか月まいる。 あさかれいは しよくにて御まいりなし。 御さか月に わか宮の御かたなり。御くすたま ふけへも御所もまいる。 かものまつの下 御あふき申いたす。やかてくたさるゝ。御くすたまの御つかゐは くわんしゆ寺一位との。 (御湯殿上日記)
永祿七年 (1564 年) 五月
  • 武家へ為御使くす玉參候也、申次伊勢七郎衛門也、 (晴右公記)
  • 五日。
    けいはの御あふき かもへいたさるゝ。はくより とし〳のまきまいる。くろ田より とし〳のことくまき三百五十。 やまのいもまいる。ふけへの御くす玉まいる。御つかゐ くわんしゆ寺一位。 かないと ゆりのはな しん上する。 (御湯殿上日記)
永祿八年 (1565年) 五月
五日。
あさ 御さか月まいる。あさかれいは。すゑの物とも くわんらくにて 御人なくて 御まいりなし。 ふけゑの御くすたまの 御つかゐ くわんしゆ寺一位 さいこくにて 中納言御つかゐなり。 めゝすけとのより まきまいる。 (御湯殿上日記)
永祿九年 (1566年) 五月
五日。
あさ 御さか月まいる。あさかれい めゝすけ殿。なかはし。きよく郎御まいりあり。わかみや御かた。ひめ宮の御かたへ 御ふく。 御くす玉まいる。く御の御くす玉もまいる。 なかはしより まきまいる。 (御湯殿上日記)
永祿十年 (1567年) 五月
五日。
あさ 御さか月 いつものことし。大すけ。なかはしより しろうり はしめてまいる。 わか宮の御かた。ひめ宮の御かたへ御かたひら御ふく。御くすたま まいる。 御すゝしうらの 御はたは まいらす。かなゑと下くさしん上申。しんくら人より いつもの うすやう まいる。あさかれい めゝすけ殿。なかはし。いよ殿。 夕かたの 御さか月いつもの (しやうふ) のことく まいる。 (御湯殿上日記)
永祿十一年 (1568年) 五月
五日。雨ふる
あさ 御さか月まいる。かものもり 御あふき とし〳のことく 申いたす。 こよひの御さかつき いつものことく。わかみやの御かたなる。御かたの御所へ 御かたひら。 御くすたま。御おふまいる。 かものもり けいはの 御あふき申。いつものことく いたさるる。 (御湯殿上日記)
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永祿十三年 (1570 年) 五月
四日、辛未、天晴、自今日入漬歟、水曜星也、
織手大宮司、へうたんの通子司自兩人、續命絲之絲 (縷カ) 五種宛、如例年出之、珍重々々、 (言継卿記)
元亀三年 (1572 年) 五月
五日。
あさ御さか月まいる。すけ殿よりまきまいる。なかはしより まきまいる。こよひの御さか月に みやの御かたなる。いつものことく おとこたちしこう。 みやの御かた。わかみやの御かたへ 御かたひら 御ふくまいる。御くす玉は わかみやの御かたへはかり まいる。 あさかれいの事。けふのを一日にかき候。 (御湯殿上日記)
天正七年 (1579 年) 五月
一日
藥玉ノ絲
一、小川善大夫 (宗久) 礼二來了、來五日クス玉ノ糸持來了、 (言経卿記)
天正十年 (1582 年) 五月
四日、辛酉、晴隂
藥玉ノ絲
一、シヤウシヤヨリクス玉ノ糸持來了、
藥玉
一、御局ヨリ阿茶丸へクス玉賜了、祝着了、 (言経卿記)
天正十八年 (1590 年) 五月
五日。はるゝ。雨ふる。
けふの御ふく 一かさね こしらへ候て まいる。ゐんの御所へも 一つまいる。わかみや御かた。ひめ宮の御かたへも 御かたひら 御ふく。 くすたまそひて 一かさねつゝ まいる。しゆこう。女御へも一つつゝ まいる。 いく久しくも めてたし〵〵〵〵。しゆこうより ゑちこ 二たん まいる。 (御湯殿上日記)
文禄四年 (1596 年) 五月
五日。
わか宮の御かた。女二の宮の御かた。女三の宮の御かた 御かたひら。御くすたま そいてまいる。 しゆこう。女御へは 御ねもし。御おひそいてまいる。いく久しくまいるへし。めてたし 〳。 大かうより きくてい。くわんしゆ寺。中山御つかいにて。しやうき (將棋) の むまわうしやうを あらためて。 大しやうになされ候へのよし 申さるゝ。御心えあり。しゆこうより まき まいる。御所〳なる。御ときあり。 (御湯殿上日記)
慶長三年 (1598 年) 五月
五日。雨ふる。
あさ 御さか月まいる。あさかれゐ めらすけ。かんろし右少弁。きよくら人御まわりあり。 けふの御ふく いつものことく あわせ一かさね。しんわうの 御かたひら (へ御かた脱 カ) 御くすたま。御おひ。若宮の御かたへ 御かたひら。御くすたま。 女二の宮の御かた。女三の宮の御かたへ同。しゆこうの御かたへ 御すすしうらの 御ねもし。御おひ。女御同。 なかはしより こしらへて まいる。めてたし。こよひの御さか月 いつものことく 三こんまいる。 (御湯殿上日記)
慶長四年 (1599 年) 五月
五日。ふる。
こよひの御さか月 いつものことく 三こんまいる。しんわうの御かた。若宮の御かた。 女二の宮の御かた。女三の宮の御かた 御かたひら。御くすたま まいる。 しゆこうの御かた。女御の御かた すゝしうらの御ねもし 御おひまいる。 (御湯殿上日記)
慶長五年 (1600 年) 五月
五日。雨そゝく。
御ふくとも 長はしより こしらへ候て まいる。く御の御あわせ 御ふく 一かさね。 新わうの御かたへ 御かたひら一つ。御おひ。わか宮の御かたへ 御かたひら一つ。 女三の宮の御かたへ 御かたひら一つ。しゆこうの御かたへ御ねもし 御おひ。 女御の御かたへ 御ねもし 御おひ とし〳のことく まいる。 二の宮の御かたへも 御かたひら 御ふくまいる。 いく久しくまいり候へし。めてたし 〳。御くすたま も いつものことく まいる。 (御湯殿上日記)
慶長六年 (1601 年) 五月
  • 五日、壬寅、下米
    遠山紹節藥玉ノ絲ヲ出ス
    一、竹 (遠カ) 山紹節ヨリクス玉ノ糸出了、 (言経卿記)
  • 五日。ふる。 女ゐんの御所。宮の御かた。女三の宮の御かた
    。二の宮の御かた。女御へ御ふくまいる。御くすたまも まいる。こよひの御さか月 いつものことく 三こんまいる。女中。おとこたち 御とをりあり。みんふのせうほくしん上申。 (御湯殿上日記)
慶長八年 (1603 年) 五月
一日、丁巳、小雨、晴陰
小川宗久藥玉ノ絲ヲ六宮ニ進上ス
一、小川宗久クス玉ノ糸持來了、
一、長橋殿 (持明院孝子) 六宮御方 (常嘉、ノチ入道堯然親王、妙法院新宮) へ小川宗久クス玉ノ糸進上申度之由有之間、 人ヲ相添御局マテ進了、御祝着之由也、 (言経卿記)
慶長九年 (1604 年) 五月
三日、癸丑、天晴、
小川宗久藥玉ノ絲持來ル
一、小川宗久クス玉ノ糸持來了、珎重〃〃、 (言経卿記)
慶長十年 (1605 年) 五月
四日、戌寅、天晴
藥玉ノ絲
一、小川宗久クス玉ノ糸持來了、令飮盃了、 (言経卿記)
慶長十一年 (1606 年) 五月
二日、庚午、天晴
藥玉ノ絲
一、小川宗久クス玉ノ糸予 · 内藏頭 ? (字がわかりません) 一包ツヽ持來了、 (言経卿記)
慶長十二年 (1607 年) 五月
四日、甲午、雨、
藥玉絲
一、小川宗久 禁中へクス玉ノ糸、予同糸持來了、令飮盃了、 (言経卿記)
寛永二年 (1625 年) 五月
五日。はるゝ。そとふる。
(小) 野より いつものことく 御しやうふ ふきに まいる。 はうしやうより 御しやうふの御殿 申つけらるゝ。朝 御さか月 まいる。あさかれゐ 大納言のすけ。 新ないし殿。いせ殿 御まいりあり。 中宮の御かたより 御ふく一かさね。五色。大たる二かまいる。こん大納言殿より 御まな二色しん上あり。 さいしゆより 御はらい まいる。けふの御ふく 女院御所。中宮の御かたへねか (も) しの 御あわせ。御おひ まいらせらるゝ。ひめ宮の御かたへ 御かたひら。御くすたま まいらるゝ。 ひろはし大納言江との 御みやけとて。 (御湯殿上日記)
延寶六年 (1678 年) 五月
五日。はるゝ。
女御の御かたへ御匂ひふくろ。御ねもし 御ふく。御おひまいる。 此御所の宮〳の御かたへ くす玉 まいる。 宮々の御かた。もんせきかた御匂ひふくろ まいる。 (御湯殿上日記)
延寶七年 (1626 年) 五月
五日。はるゝ。
法皇の御かた。本院の御かた。新院ノ御方へ 御あわせ。御おひ まいる。宮〳の御かたへ御くす玉まいる。女御の御かたへ御ねもしの 御あわせ 御ふく。 御おひ まいる。夕方御さかつき 三こんまいる。女中。おとこたち 御とをり 有。二ノ内侍より 下まてたふ。 御こさかつきも出て。別殿ニならします。女中。おとこたち 御とをり有。おとこたち鳥うたわるゝ。 (御湯殿上日記)
延寶八年 (1627 年) 五月
五日。はるゝ。
法皇の御方。本院の御方。新院御方御あはせ。 御匂ひ袋。御帶まいる。なかはし御使まいらるゝ。 女御の御かたへ御にほひ袋。御ねもし 御あわせ。御おひ まいる。 御ふく 御くはりもまいる。本院の御方。新院の御方より 御まなまいる。 女御の御かたより まき二色。御たるまいる。宮〳の御かたへ御くす玉御匂ひ袋。内々門跡。宮宮の御かたへ まいる。攝家かたへも御にほひ袋 まいる。 三御所女中 大にし殿。小一條殿。御めのと。少なこん 御にほひ袋 春の御歸し下さるゝ。 此御所の女中。おとこたち。非藏人。其外すゑ〳まて 御にほひふくろ下さるゝ。 (御湯殿上日記)
延寶九年 (1628 年) 五月
五日。はるゝ。
本院の御方。新院の御かたへ せつくの 御しうき 御あわせ。御おひ まいる。御にほひふくろ まいらす。 なかはし 御つかいに まいらるゝ。 女御の御かたへ 御ねもしの 御あはせ。御くはり 御ふく。御おひまいる。 此御所の宮〳の御かたへ御くす玉 まいる。 (御湯殿上日記)
天和二年 (1682 年) 五月
五日。はるゝ。
若宮の御かたへ御くす玉 まいる。若宮の御かたへ ことしより 御匂ひ袋 まいる。御ちこ 御ちへも まいらせらるゝ。 (御湯殿上日記)
天和三年 (1683 年) 五月
五日。はるゝ。
本院の御かた。新院の御かたへ 御あわせ。御おひ。御にほひ袋 まいる。 春宮の御かたへ 御あわせ。御おひ。御にほひふくろくす玉 まいる。中宮の御かたへ 御すゝしうら御おひ。御にほひふくろ まいる。 女中へも御にほひふくろ くたさるゝ。宮〳の御かたへも 御くす玉 まいる。 女中。おとこたちへも御匂ひふくろ くたさるゝ。御所〳への御つかい 長はし也。 (御湯殿上日記)
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まとめ

古記録では、江戸前期まで薬玉の記録を辿る事ができました。が、この後はナゾ。幕末の古記録、朝彦親王日記などいくつかの古記録に探してみましたが、チマキやお湯の記述はあっても、薬玉は とんと音沙汰なしです。

朝彦親王日記 (あさひこしんのうにっき : 久邇宮 朝彦 親王 (くにのみや あさひこしんのう、朝彦 親王) / 1864 - 1867 年 / 幕末から明治時代初期の皇族、朝彦親王によるの日記)
慶應元年
五月五日 乙亥 晴
一 武智宮初節句付 内府前關白桂敏宮伏式部卿等ゟ (より) 祝到來依交肴粽等 令進上候事 (参考文献 : 久邇宮朝彦『朝彦親王日記』大塚武松 編. 日本史籍協会, 1929.)

江戸時代の公事書、年中行事書などを参考にすると、薬玉という文字はちらほらと出没しているようですが、童女の翫具だという説明のものが多くはびこるようになっています。

レポートのテーマ、「薬玉を贈答する習慣はいつまであったのか」について、今のところ (2012 年 11 月現在) はっきりと言えるのは、「古記録をたどると江戸前期まで」かもです。

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古記録と参考にした文献の一覧です。

醍醐天皇御記 (だいごてんのうぎょき : 醍醐天皇 著 / 897 - 930 年)
(参考文献 :『続々群書類從第五』市島謙吉 編. 国書刊行会, 1908.)
貞信公記 (ていしんこうき : 藤原忠平 (ふじわらのただひら、880 - 949 年) 著 / 907 - 948 年 / 平安貴族最古の日記。現存するのは一部のみ)
(参考文献 :『続々群書類従 第五』市島謙吉 編. 國書刊行會, 1908.)
九條殿記 (くじょうどのき / 藤原師輔 (ふじわらのもろすけ) 著 / 藤原師輔の書いた日記「九暦」の一部)
(参考文献 :『大日本古記録 九暦』東京大学史料編纂所 編. 岩波書店, 1958.)
蜻蛉日記 (藤原道綱母 (ふじわらのみちつなのはは) 著 / 974 以後の成立 / 平安時代 (954 - 974 年) の日記)
(参考文献 :『新釈日本文学叢書 第 4 巻』物集高量 校註. 日本文学叢書刊行会, 1923.)
小右記 (しょうゆうき : 藤原実資 (ふじわらのさねすけ、957 - 1046 年) 著 / 978 - 1036 年 / 平安中期の公卿 藤原実資の日記)
(参考文献 : 藤原実資『小右記』笹川種郎 編. 日本史籍保存会, 1915.)
御堂関白記 (みどうかんぱくき : 藤原 道長 (ふじわらのみちなが、966 - 1027 年) 著 / 998 - 1021 年 / 摂政太政大臣藤原道長の日記)
(参考文献 : 藤原道長『御堂関白記』正宗敦夫 編. 日本古典全集刊行会, 1929.)
後二条師通記 (ごにじょうもろみちき : 藤原師通 (ふじわらのもろみち) 著 / 1083 - 1099 年)
(参考文献 :『大日本古記録 後二條師通記』東京大学史料編纂所 編. 岩波書店, 1958.)
玉葉 (ぎょくよう : 九条兼実 (くじょうかねざね) 著 / 1164 - 1203 年)
(参考文献 : 藤原兼実『玉葉 、一名 玉海』国書刊行会 校. 図書刊行会, 1907.)
猪隈関白記 (いのくまかんぱくき : 近衛家実 (このえ いえざね、1179 - 1243 年) 著 / 1197 - 1217 年 / 鎌倉時代前期の公家 近衛家実の日記)
(参考文献 :『大日本古記録 猪隈関白記』東京大学史料編纂所 編. 岩波書店, 1972.)
経光卿記 (つねみつきょうき : 広橋経光 (ひろはし つねみつ、1213 - 1274 年) 著 / 1226 - 1268 年 / 鎌倉時代の公家 民部卿権中納言 広橋経光の日記)
(参考文献 :『大日本古記録 民経記』東京大學史料編纂所 編. 岩波書店, 2007.)
増鏡 (ますかがみ : 著者は 二条良基 (にじょうよしもと) など諸説あります / 成立年未詳 (1338 - 1376 年頃) / 南北朝時代の歴史物語)
(参考文献 :『日本文学大系 校註 第十二巻』国民図書, 1926.)
花園院宸記 (はなぞのいんしんき : 花園天皇 (1297 - 1348 年) 著 / 花園天皇による 1330 - 1332 年間の日記)
(参考文献 :『史料纂集 花園天皇宸記』村田正志 校訂. 続群書類従完成会, 1982.)
師守記 (もろもりき : 中原師守 (なかはらのもろもり) 著 / 1339 - 1374 年 / 南北朝期の公家 中原師守の日記)
(参考文献 :『史料纂集 師守記』藤井貞文, 小林花子 校訂. 続群書類従完成会, 1968.)
御湯殿上日記 (おゆどののうえのにっき : 1477 - 1820 年間 / 禁中御湯殿上の間で、天皇近侍の女房が交代で記した当番日記)
(参考文献 :『続群書類従 補遺 三 お湯殿の上の日記』塙保己一 編, 太田藤四郎 補. 続群書類従完成会, 1932.)
実隆公記 (さねたかこうき : 三条西実隆 著 / 1474 - 1536 年 / 室町時代後期の公家 三条西実隆の日記)
(参考文献 :『実隆公記』高橋隆三 編. 続群書類従完成会, 1963.)
尚通公記 (ひさみちこうき : 近衛尚通 (このえ ひさみち) 著 / 1506 - 1532 年 / 室町後期の公家 近衛尚通の日記)
(参考文献 :『大日本史料 第九編之四』東京大學史料編纂所 編. 財團法人 東京大學出版會, 1935.)
言継卿記 (ときつぐきょうき : 山科言継 著 / 1527 - 1576 年 / 戦国時代の公家 山科言継の日記)
(参考文献 :『言継卿記』國書刊行會 編. 続群書類従完成会, 1998.)
晴右公記 (はれみぎこうき : 勧修寺晴右 (かじゅうじ はれすけ、1523 - 1577 年) 著 / 1565 - 1570 年 / 戦国時代末期の公卿 勧修寺晴右の日記。現存するのは、一部のみ)
(参考文献 :勧修寺晴右『文科大学史誌叢書 晴右記』坪井九馬三, 日下寛 訂. 富山房, 1899.)
言經卿記 (ときつねきょうき : 山科言経 著 / 1576 - 1608 年 / 安土桃山時代の公卿 山科言經の日記)
(参考文献 :『大日本古記録 言經卿記』 東京大學 史料編纂所. 岩波書店, 1959.)

レポート : 2011年 11月 13日

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