「わからないコト · モノ」をざっくりと調べるには、ネットで検索する以外に、国語辞典や百科事典などの辞典類をめくるという手もあります。 しかし、それ以外にもざっくりと調べるウラワザがあります。それが「注釈書」です。
さほど専門的にもならず、万人が理解しやすいような説明があり、頭の中で何かがヒットしやすいと思っています。 辞典類とはまたひと味違った説明が楽しめる。......はず

さっそくこのウラワザを使って、「薬玉とは何か」を探ってみます。 最近の注釈書だと内容があんまり変わらないかも知れない。と、勝手に推測して、江戸時代終わりぐらい頃までの古注に限定しました。

徒然草は鎌倉末期から南北朝時代に活躍した歌人、吉田兼好 (よしだけんこう) の随筆です。
全 244 段からなりますが、薬玉が登場するのは 第 138 段目、「祭すぎぬれば なんちゃらかんちゃら」のところです。
くわしくは、こちら。 薬玉の飾り方

徒然草文段抄 (つれづれぐさもんだんしょう : 北村季吟 (きたむらきぎん、1624 - 1705 年) 著 / 1667 刊行 / 江戸時代前期の注釈書)

北村季吟 は、江戸時代前期の歌人、和学者で、膨大な古典籍の講釈、註釈でも有名です。このレポートでは、徒然草、枕草子、源氏物語の注釈書をとりあげていますが、いずれも北村季吟の注釈書を含めています。比べると面白いかもです。

くす玉とは
續命縷 (ぞくめいろう) とて五色の糸に菖蒲根など玉にぬきたる物なり。今五月五日に。色々の作り花に糸をつけて。女童 (ヲンナワラベ) のもてあそぶ。即ち其遺法なり。 (参考文献 :北村季吟『徒然草文段抄 下巻』鈴木弘恭 訂正増補. 青山堂, 1894.)

徒然草諸抄大成 (つれづれぐさしょしょうたいせい : 浅香 久敬 (浅加 久敬、あさかひさたか、1657 - 1727 年) 編 / 1688 年 / 江戸時代最大の徒然草注釈書)

続命縷の起源を、素戔嗚尊 (すさのうのみこと) から引っ張って来ている「在る人」の説を紹介しています。これは、清少納言枕草子抄からの引用です。 中々おもしろい説なのですが、今現在 (2012 年 10 月) 、Mio さんが研究している中では、これらの注釈書 (枕草子抄、徒然草諸抄大成) 以外に見つけることができず、腕組みをしています。

くす玉
頭書云 : 公事根源云 五月五日節會 天皇武德殿に出御なりて 安全を行はれ 群臣に酒を給なり 内辨なども四節に同し 人々皆あやめのかづらをかく 日かげのかづらの如し 典藥寮あやめのつゝみを奉る 群臣に藥玉をたまふ 五色の糸を以てひぢにかくれば 惡鬼をはらふと申本文侍り
荆楚歳時記に長命縷 續命縷 命縷とて 五色の絲に菖蒲なと玉にぬきたる物なり 今五月五日に色々のつくり花に糸をつけて女童のもてあそびとするは即其遺法なり (文段抄の引用)
: 山案 西宮記云 糸所献藥玉二流諸寺 藏人所之結付 座母屋南北柱云々
或御記云 延喜十三年五月五日 糸所供奉藥玉常云々
くす玉は長命縷 續命縷より始りたるよし 舊抄に云り

是漢朝の故事なれは甘心せず 天照太神 (あまてらすおおかみ) の素戔嗚尊 (すさのうのみこと) と玉をとりかへ玉ひし事などは惡神降伏の大事なれば 五月五日續命縷の起とや申べからん 世人本朝の故事を忘れ たまたま遺事の侍るをも 多くは漢朝の似たる事に引きあはせしこと 我國の人としては なけかしき事なりと或人申されし (参考文献 :『未刊國文古註釋体系 第六册』吉沢 義則 編. 帝國敎育會出版部, 1935.)

おまけ 大正時代

物集高量 (もずめたかかず、1879 - 1985 年) 氏は大正から昭和にかけて活躍された国文学者。七転び八起きどころじゃない人生だけど、ものともしない彼にあやかって、註釈もご紹介。 (生没年すげぇ !!! )

新釈日本文学叢書 (しんしゃくにほんぶんがくしょうしょ / 大正 7 年出版)
藥玉
古、邪氣を去らんとて、種々の香を包みて袋の如き物として、之れを造花などにて飾り、下に長き五彩の絲を垂れたる物にて、五月五日菖蒲と共に簾、柱、帳などに懸けたる也。 (参考文献 :吉田兼好『新釈日本文学叢書 巻五 徒然草』物集 高量 校注. 日本文学叢書刊行会, 1923.)
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平安時代中期の女流歌人、清少納言 (せいしょうなごん) の随筆と言えば、枕草子 (まくらのそうし) 。春はあけぼの。で始まる一節は有名ですが、薬玉についてたくさんのことが語られているのは、「節は五月にしくはなし」です。
ただ、順番からすると、「すさまじきもの」が一番始めです。

それぞれの、一節をご紹介しています。くわしくはこちら。 薬玉の使者 - あやめの蔵人 薬玉の飾り方

清少納言枕草子抄 (せいしょうなごんまくらのそうししょう : 加藤磐斎 (かとう ばんさい、1624 - 1674 年) 著 / 1674 刊行 / 江戸時代の枕草子注釈書)
はかなきくす玉うづちなど
とは、わらんべのもてあそぶものなれば、はかなきと云也。 又云、移りかはるせくごとの物なれば、しばしの心にて、はかなきと云也。

標註 :
長命縷 · 續命縷の事より始りたる由、諸抄に説あり。是漢朝の故事によれば、耳心せず。 天照太神 (あまてらすおおかみ) の、素盞嗚尊 (すさのうのみこと) と 玉をとりかへ給ひし事などは、惡神降伏の大事なれば、五月五日續命縷の起とや申べからん。 世人本朝の故事をわすれ、たま〳遺 (ノコル) 事の侍るをも、 おほく漢朝の似たる事に引きあはせし事、我國の人としては、なげかしき次第成べし。 今、くす玉の事に付て、傍題ながらこれを辨 (べん) ずるのみ。 又、千載集に有。枇杷の皇太后宮の御帳に、あやめのくす玉の、のこりし事あはれにも聞へ、 つれ〴草などにもかゝれしかども是は、清少納言、此双紙かゝれし比より後の事なれば、不及引。 猶、くす玉のことは、公事根源などにも見えたり。 今も、民間に、めのわらはに送る花、その遺風也。尚下詳也。 (参考文献 :『国文學註釋叢書 (二)』名著刊行會, 1929.)
枕草子春曙抄 (まくらのそうししゅんしょしょう : 北村季吟 著 / 1674 年成立 / 江戸時代の枕草子注釈書)
ぬいどのより御くすだま
續命縷 (クスダマ) 延喜式、藥玉 (クスダマ) 雲圖、 五月五日のくすだまは絲所より奉る事延喜式、御記等に見えたり。 絲所はすなはち縫殿の別所なれば、此の双紙にはぬひどのよりまいらするといへるにや、 江次第二鼈頭 (ベツトウ) 、 絲 (イト) 采女町、縫殿 別所也。 五月五日藥玉是也。 拾芥同。河海、 御記、 延喜十三年五月五日丙午、糸所ヨリスルコト 藥玉、 撤 (テッシテ) 去年九日茱茰 (シュユ) 藥玉懸替 (カケカエ) (ツケル) 御柱例也下略。雲圖抄同。 (参考文献 :北村季吟『枕草子春曙抄』池田亀鑑 校訂. 岩波書店, 1948.)
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源氏物語に薬玉が登場するのは、第二十五帖の「蛍」です。
一節をご紹介しています。 文学の中の薬玉
源氏物語は、ほんにどっだけあっだいな ?(鳥取弁 : 本当にどれだけあるんだ ? )
と、騒ぎ立てたくなるくらい、訳書、注釈書が山ほどあります。とりあえず、いつもの独断と偏見で手近なものを押さえます。

室町時代 (1336 - 1573 年) - 南北朝時代 (1336 年 - 1392 年)

河海抄 (かかいしょう : 四辻善成 (よつつじよしなり、1326―1402) 著 / 室町時代初期の源氏物語の注釈書。1367頃成立)
くすたまなと
續命縷 雲 (靈) 絲 綵 (サイ) 絲 彩 (サイ) 索 なといへり (かけり) いつれも藥玉の躰也
宋書曰 元嘉四年 斷夏至日 五絲縷之属
金門歳節曰 端午朮羹芴酒以花絡縷臺鬢挿 採百草花結五綵絲造 樓臺等形 今薬玉類也
辟兵已佩靈府小續命仍縈綵縷長 文秀端午詩
御記云 延喜十三年五月五日丙午 糸所供奉藥玉如常 撤去年九月茱萸以藥玉替懸差御柱前例也
延長三年五月五日丙申 書司立菖蒲瓶 絲所奉續命縷如常
五月五日 糸所藥玉を供す 去年の菊花茱萸を徹して 御帳の東の柱に結付也 (参考文献 :『國文註釋全書』本居豊頴, 木村正辭, 井上賴囶 校訂. 國學院大學出版部, 1910.)
千鳥抄 (ちどりしょう : 平井相助 著 / 1419 年 / 源氏物語の注釈書)
くすだま
藥玉也。續命縷と云也。又靈糸といふ。又綵糸と云。只命をのぶる祝ごとにする也。 内裏には糸所より藥玉を献ず。去年五月五日。 菊花菜苗 (茱萸) を徹して。 藥玉にとりかへて。九月是を置。夜るのおとゞの御丁の東の柱に付也。
(参考文献 :"巻第五百十六 源氏物語 千鳥抄"『続群書類従 物語部』塙 保己一 編. 続群書類従完成会, 1926.)
源氏物語抄 (げんじものがたりしょう : 正徹 (しょうてつ、1381 - 1459 年) 著 / 1440 年成立 / 室町時代の源氏物語注釈書)
くすたま (藥玉)
年中行事日記云 五月五日 糸所女官藥玉ヲ献ス 御坐ノ前ノ柱ニ結付ラルヽ也 淸涼殿儀式 六府昌少補 蓬幷モロ〳ノ花を献ス 布殿ノ前ニ立 紫震殿 續命妾漢朝號儀式私云 菖蒲與六府献 (参考文献 :『未刊國文古註釋体系 第十一册』吉澤 義則 編. 帝國敎育會出版部, 1936.)

室町時代 (1336 - 1573 年) - 戦国時代 (1467 - 1568 または 1573 年)

花鳥余情 (一条兼良 (いちじょうかねよし (またはかねら)) 著 / 1472 成立 / 源氏物語の注釈書)
むかし武德殿にて五日節會行はれて
騎射の事あり その時 宮内省典藥官人 あやめを献ず
又内侍藥玉を太子以下に給時
くす玉を右のかたにうちかけて
ひだりのわきへたれて 二の緒をわけて 腰にゆひて 各拜舞するなり (参考文献 :『國文註釋全書』本居豊頴, 木村正辭, 井上賴囶 校訂. 國學院大學出版部, 1910.)

安土桃山時代 (1568 または 1573 または 1576 年頃 - 1603 年頃)

岷江入楚 (みんごうにっそ : 中院通勝 (なかのいんみちかつ、1556 - 1610 年) 著 / 1598 年成立 / 安土桃山時代の源氏物語の注釈書。 55 巻)
くす玉なと

藥玉と號する本緣未詳可尋決

河 - (河海抄の引用です。重複するので略します)
花 - (花鳥余情の引用です。重複するので略します)

私勘
事物記原曰 百索 風俗通曰 五月五日以 采絲繋臂 辟兵及鬼 令人 不病癘 一名長命縷 一名辟兵符 一名五色縷 一名百縷索 又曰 関婦人蠶 (かいこ) 功成盖始于漢時堤要錄 北人端五以雜絲結合歡索 纏乎臂 初學記 又條達織組雜物以相贈 及日月星辰鳥獸之狀文 綉金縷帖盡貢献于所尊古詩 繞臂双條達 鷗詩五色双絲献女功多因荆楚遺風
又云 綉蘭誇新功索絲喜續年章簡云 皇帝閣帖曰 淸暁會坡香采絲續命長一絲增一歳萬縷献 君王又云 肅舘初成長命縷珠囊仍帶碎兵繒 風土記云 以五色綵絲爲百索綵々絲辟兵鬼神也 (参考文献 :『國文註釋全書』本居豊頴, 木村正辭, 井上賴囶 校訂. 國學院大學出版部, 1910.)

江戸時代 (1603 - 1867 年)

湖月抄 (こげつしょう : 北村 季吟 (きたむら きぎん、1624 - 1705 年) 著 / 1673 年 / 源氏物語の注釈書、60 巻)
くすだまなど
(河) 藥玉 (クスダマ) 續命縷 靈絲などいへり、皆藥玉の體也
(師) あやめの根を、花などかさりて、色〵の糸につけてかけ侍る也 (参考文献 :北村季吟『源氏物語湖月抄』文献書院, 1926.)
源註余滴 (げんちゅうよてき : 石川 雅望 (いしかわ まさもち、1753 - 1830 年) 著 / 成立年未詳 / 源氏物語の注釈書)
くす玉
眞淵云萬葉に五月五日の藥玉の事を「橘を玉つらぬく日」とよめり是を佩れば命長きよしいへり
(参考文献 :石川 雅望『源注余滴』図書刊行会, 1906.)
源氏物語新釈 (げんじものがたりしんしゃく : 賀茂真淵 (かもの まぶち、1697 - 1769 年) 著 / 1762 年頃)
くすたまなど
三代實錄に續命縷と有も同く藥玉なり 橘の實 時の花 菖蒲などを色々の糸にてぬきたれて身におひ 帳などにかくるなり 萬葉に五月五日の藥玉のことを橘にぬく日とよめり
(参考文献 :『賀茂真淵全集 第 5』賀茂百樹 校正. 国学院編輯部 編. 吉川弘文館, 1906.)

おまけ

イギリスの東洋学者、アーサー · ウェイリー (Arthur David Waley / 1889 - 1966 年) 氏が英訳された源氏物語「The Tale Of Genji 」を、さらに佐復秀樹氏が訳された「ウェイリー版 源氏物語」に出てくる「薬玉」です。

ウェイリー版 源氏物語 (紫式部 著、Arthur Waley 原著、アーサーウェイリー、佐復 秀樹 翻訳)
最高にバラエティに富み素晴らしい魔法の玉 (薬玉) (参考文献 : 紫式部, Arthur Waley『源氏物語』アーサーウェイリー, 佐復 秀樹 翻訳. 平凡社ライブラリー, 2008.)

レポート : 2012年 9月 27日

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