思考中毒の日々だけど、たまにはね。
「瞑想」とはなんぞや。
ということで、辞書を引いてみた。
瞑想とは / What is “meditation”
- 瞑想 (by スーパー大辞林)
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目を閉じて心を静め,無心になって想念を集中させること。「―にふける」〔明治期に作られた語〕
- meditation (by Oxford learner’s Dictionaries)
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[uncountable] the practice of thinking deeply in silence, especially for religious reasons or in order to make your mind calm.
「瞑想」をすることと「瞑想状態」になること。
意識を「瞑想状態」にするためにすることを「瞑想」と、はじめに仮定しようかな。
何やらややこしいことを言っているようだけど、これをスルーすると、あんまり賢くない私の頭がもつれるので。
意識を瞑想状態にする方法はいくらでもある。
つまり「瞑想」の方法はいくらでもある。
めずらしく文の最後に「かもしれない」とか「たぶん」とかのワードは付かない。
実際にたくさんある。
じゃぁ、一体どんな方法があるのかと言うと、ここでは割愛。(←めんどうくさい)
まぁ、アマゾンで検索すればたくさん本が見つかるだろうし。
Youtubeでサーチすれば、たくさんビデオが見つかるだろうし。
瞑想家のホームページを訪れたら、いろいろな瞑想方法の説明が書いてあるだろうし。
(例えば → OSHO – JAPAN)
ちなみに私は、本とかビデオとかで紹介されているような瞑想方法はあまり試したことがない。つまり自己流。
私の瞑想方法
私の瞑想方法は、視覚を使う。だから目なんて閉じない。ただ見ている。見ている世界を意識する。
それだけ。
触覚とか聴覚とか他の感覚器もあんまり使わない。じっともしていない。キョロキョロして、自分のいる世界を見ている。
ほんとうに、それだけなんだな。
それがほんとうに「瞑想」なのかと言うと、実はよくわからない。自分で勝手に瞑想している気分になっているだけなのかもしれない。(←なんじゃそりゃ)
瞑想状態になった「意識」
瞑想状態になった「意識」に種類があるのかと言うとそれはハテナだけど、おそらくその状態には「レベル」があるんだろうな。と思う。
「軽い瞑想状態」とか「深い瞑想状態」とか。
そして、瞑想状態になった意識には必ず共通していることがひとつ。
それは、脳がおしゃべりをしていない、または意識が脳のおしゃべりに付き合っていない
っちゅうことだ。
逆に言えば、意識が脳のおしゃべりに気を取られている時は、瞑想状態じゃねぇ。っちゅうことだな。
私の瞑想状態
自慢じゃないけど、私の「瞑想状態」は「ウルトラマンが戦える時間」も持たなかったりする。
だいたい1分もすれば、脳がごちゃごちゃと喋りだして、あっという間に意識が思考に乗っ取られる。(←迷想状態)
- それでも瞑想開始の数秒の間は、意識を保とうと試みたりする。
- で、どうやったら意識を保てるかなんていうのを考え始める。(←瞑想終了)
- それでも調子のいい時は、はっと自分の頭の中のおしゃべりに気がついて、再び「ここに居よう」とする。
- でもやっぱりすぐに脳がおしゃべりを始めだす。
↓
<1>に戻る。
私の「瞑想しようとしている意識」を全体で見たら、「瞑想状態」と「迷想状態」が入り混じって「モールス信号」みたいになっているだろうな。などと思う。
ちょっと脱線。強烈な瞑想状態になった体験談。
はじめて「瞑想状態」になれたときのことをよく覚えている。
その時はそれが「瞑想状態だった」ということがわからなくて、とにかく強烈な何かが自分に起こった。ということだけを認識し、数年たった後に振り返ってみて「あぁ、ありゃー(おそらく)瞑想体験だったんだな」と理解した。
実際、私に起こった「その」ことが「瞑想状態」だったのかどうなのかはよくわからないし、検証も証明もできない。
でも、そうだったんじゃなかろうかと思っている。
ずいぶん古い話だけど今でも鮮明
それが起こったのは2002年(アメリカ同時多発テロ事件 – September 11 attacks の翌年)で、ロスアンゼルスに居たとき。
朝、寮で目覚めたら、突然そうなっていた。
視界に入るすべてのものの形や色が、やたらとくっきりしていて、モノがそこにしっかりとあるという感じがした。朝日が明るすぎる。壁の向こうの人の声がよく聞こえる。そして、部屋中がアルコール臭い。(←寝る前にワインを飲んでいた)。いつもと同じ風景なのに、いつもと違う。
「なんだ? これ??」
と思った。そう思った瞬間に「なんだ? これ??」という声を自分でしっかりと聞いた。
しばらく部屋中を見渡して、そのあとベッドから立ち上がった。自分の足元を見て、部屋をもう一度ぐるりと見て、自分の目の位置を意識した。そして、自分はとても背が低いということを感じた。
同時に、なぜ「目」という感覚器は頭部のこの場所に位置しているんだろう。なぜ、おヘソの辺りじゃぁ無いんだろう。
などと、しょーもないことを考え始め、そう考えている自分をはっきりと認識した。
窓の外を見ながら、深呼吸を三回繰り返した。山の上に「HOLLYWOOD」の文字が見える。「あそこには人が入れるんだろうか」などと、その間も思考は止まっていなかったが「思考が止まっていない」ということが、よくわかった。
部屋を歩くと空気を感じた。空気の中を歩いているという感覚があった。自分がこの世界に居るという感じがした。
バスルームに行って顔を洗った。蛇口から出る水を手で感じた。水の温度にはエネルギーを感じた。
「まるで、ヘレン・ケラーみたいだな。」
などと思った。
そしてこの「考え」はどっから湧いてくるんだろう。などとも思った。
それから3日間、五感が全開しているような状態が続き、1年以上もの間、意味もなく「幸せ」だった。
そのあとどうなったかというと、まぁ徐々に「普通」へと落ち着いていった。(←さすが凡人)。
そして今に至る。
さて本題 → 世界同時瞑想に参加してみようかな。
たくさんの人が同時に瞑想をすると、不思議なことが起こるらしい。世界の犯罪率が下がるとか。なんとかかんとか。(←あまり詳しくない)
今年の世界同時瞑想の時間は
日本時間 2020年1月12日15時11分。
なんだそうな。瞑想時間の目安は20分だとさ。
私の場合20分も持たないだろうけど、まぁ、チャレンジしてみるかな。
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