ほとんどの人が勘違いしている。保守は右翼ではない。
保守思想家の西部邁氏による「保守思想とは」
春夏秋冬、頭は毎日春だったお花畑の私が、自分でもよくわからないうちに、ずるずるっと芋づる式に興味のある保守系動画を見まくって、約1年。
ようやく『保守思想』というところまでたどり着いた。ようやっと、ここまできたか。ってな感じ。
今まで「保守」って勝手に「右派」だと思い込んでいたけど、勉強してみるとどうもそうじゃないらしい。西部邁氏(元東京大学教養学部教授、評論家、保守思想家)によると、バランスの思想なんだそうな。
いろんな矛盾の間でバランスを取る、というね、人間の体もそうなんですよ。免疫がそうなんですよね。<中略>
保守思想っていうのはね、飛行機になぞらえればですね、こっちは右の翼を持ってるんですよ。『断固、国のために靖国神社に行け』とね。
と、同時に左の翼も持っててね。『そんなこと叫んでもしょうがないでしょう』と。『国家とはなんぞや。人間とはなんぞや。』とね。『たとえばですよ。いろんな理屈も必要でしょう』とね。
そのバランスね。右翼と左翼、右の翼と左の翼のバランスが、ついでに言うと尾っぽの尾翼もありますからね、ついでに言うと頭の方にプロペラまで回ってるわけね。そのバランスを取って飛行機が飛ぶわけですよね。
<中略>
福田恆存(ふくだつねあり)がね、戦後すぐ出した評論集のタイトルに『平衡感覚』、バランス感覚ね。
まぁ、それを保守というかはともかく、その思想上の哲学上の重大な概念であるバランスということとね、転々と、くるっと、澤村さんがおっしゃってくれたように、人間のね、そういう神経、免疫の問題についてまで、やっぱりバランスってね、一直線につながっているわけじゃないんですけどね、やっぱりこう、つながっている。おもしろいもんですね。
2014年06月01日 西部邁ゼミナール 澤村修治 浜崎洋介 死生観【2】
この動画は、もともとは、TOKYO MXで配信されたものらしい。違法動画っぽいから、消える可能性あり。
文芸評論家の浜崎洋介氏の解説
そして、上の動画にご出演されている浜崎洋介氏は、この西部邁氏の言葉を引用して、保守思想をこう解説されていた。
浜崎氏 : 僕は保守というのは、立場じゃないと思っているんですよ。ある種の構えであり、かつ思想だと思っているんですね。
松本氏 : <中略>あのね、日本人のたぶんね、九割近くはね、保守を右翼と勘違いしている。
浜崎氏 : おっしゃる通りです。
<中略>
僕、最初「保守」っていうの、嫌だったんですよ。なんでかっていうと、いまおっしゃったことで、保守というと完全に色付きで、かつ『右』だという感じになってしまうと。『右』だって言ったときに、ポジションになっちゃうから、これ、別にポジションじゃねぇから、と、いうのを伝えたいのに、結局ポジションからしか始まんないということの、ジレンマがね、ずっと若い時にありました。
<中略>
西部先生もこう言ってましたよ。まぁ、飛行機っていうのはだいたいね、左翼と右翼があって、尾翼があるから飛ぶんだ。みたいなことを言ってました。まさに、そんなもんでね、尾翼っつうか、ちょうど真ん中なんですよ。
松本氏 : 胴体部分とかね。
浜崎氏 : そう。で、真ん中ってことですごく大事なことは、真ん中ってことでようやく何が均衡で、何が均衡じゃないかということを感じ取る、あるセンサーがついているということです。ここが真ん中っていうことですよ。
【浜崎洋介先生⑰】右翼と保守の区別もつかない日本の言論空間~前編~
「保守」の多くはもともと左翼だった人が、挫折をしてたどり着く、という思想なんだそうな。
浜崎氏 : つまりこうなんです。「左翼」とか「リベラル」が挫折するときって、まぁありますよね。左翼運動で挫折するとか。実は西部先生もそうですけどね。「左翼」とか「リベラル」が挫折して後に、その政治性とか理念性、まぁ理論だけで生きてますから、彼らは。その理論性や理念性に疑念を抱いて、ちょっと俺たちの身体ってどうなっているんだろう、自分の無意識はなんなんだろう、と考え始めて「保守」へとたどり着くことは多いんです。(江藤淳、西部邁 etc…)
<中略>
『20歳のときにリベラルでないなら、情熱が足りない。40歳のときに保守主義者でないなら、思慮(知性)が足りない』(by チャーチル?)
思慮っていうか、これね、英語で言うと brain になっているんですよ。脳足りん。って、言ってるんです。だから、バカって言っているわけです。40歳のときに保守の感覚がわかんないっていうやつは、基本バカですから、って、チャーチルが言っていると。
松本氏 : 日本人は70歳過ぎても保守の感覚がわかんない人が多いですね。
浜崎氏 : 幼稚なんですよ。
『40歳のときに保守の感覚がわかんないっていうやつは、基本バカ』
これ、かなり笑った。私のことだぜ。
浜崎氏 : で、そう思うとこの個人は、過去(右翼)に帰らない、あるいは理念(左翼)に行かない、そうするとどうするか、なんです。
つまり、個人は、この個人を支えているこの大きなもうひとつの地盤、この地盤を理念無しで考え出すんですよ。
つまり個人を支えているもの、個人が部分だとしたら、部分は一体どういう全体に包まれて、全体の中で適切な位置がどこにあるのか、ということを考えながら、地と図、あるいは全体の関係を、個人と文化の関係として考えようとするのが「保守」と普通言われるものなんです。
なので、保守思想は、理念ではない、つまり「イデオロギー(意匠)」ではない、ここを生きているこの私の感覚に、根拠を置くんですよ。もうちょっと言うと、この私の感覚を離れたら、保守じゃない。それは、単なる理論ですから。頭でっかちになっちゃうだけ。
つまり、それは個人を全体にしているんです。保守は。個人でなければいけないんです、逆に言うと。
だから保守主義は自由主義と時に手を結びます。まぁ、全面的にはできませんけど。自由主義を認めつつ、しかしそれを断片ではなくて、全体の中の部分として捉え直して、もう帰れない宗教的共同体に代わる、ある全体性。この全体性をですね、まさに近代の宗教性と言ってもいいかもしれませんが、私を超えている、歴史とか言葉とか自然の中に見出そうとする運動、だと思っていただければいいんじゃないかと。
つまり歴史って、私が生まれる前にあるし、それを前提にしなければ私自身がいないわけだし、私の感覚も掴めない。言葉もそうですね。私は日本語の中でようやく今こう喋っていて、私は私と言える。自然もそうですね。私が男であるとか、21世紀の中年であるとか、そう言ったことも全部自然なわけですよ。あるいは四季折々の日本の自然の中で生まれているということも含めて。
それを私を超えた、私を支えているものとして自覚し直すというのが、保守の態度になってきます。
ということは『自覚し直す』この運動性、リフレクション、反省し続けるということかな。それが、重要なんですよ。生成変化することを受け入れるわけです。
【浜崎洋介先生⑱】右翼と保守の区別もつかない日本の言論空間~後編~
伝統は、(習慣とは違って)これを日に新たに救い出さなければ、ないものなのである。これは、努力を要する仕事なわけであり、従って危険や失敗を常に伴った。これからも常にそうだろう。少なくとも、伝統を、そういうものとして考えている人が、伝統について、本当に考えている人なのである。(小林秀雄「伝統について」昭和16年6月)
浜崎氏 : (小林秀雄は)のちに本居宣長を論じて”「もののあわれ」を知る心”と言うんですよ。もののあわれは誰にでもあるって言うんですね。これはたぶん習慣的にあることなんです。問題なのは、もののあわれを『知る』心、なんですよ。知るというひとつの距離感、あるいは反復し、反省し、リフレクションするこの循環ですね、この循環の過程がどうしても必要だと、小林も宣長も言うんですね。
<中略>
松本氏 : 少し対象から離れて距離をちょっと置いて、再認識する。もう一回、考えてみる。
浜崎氏 : そういうことです。
それに、私たちは有機体の中に生きてますから、有機体は変わるんですね。生成変化するんですよ。自然は必ず変化しますから。変化すると、全体の中の適切な部分、位置もずれますね。ずれた瞬間、どうずれたかを認識し、ちょっと修正するんですよ。
それをし続けるんですよ。だから漸進主義になるわけです。保守は。
<中略>
だからこれは人生と一緒ですよね。人生には少なくとも核になるものがある。これが絶対かというと、そうじゃない。それが常に揺れているから、一個一個精査していくわけですよね。そういう感じ。
そうするとね、自己の外に見出される「意匠(イデオロギー)」じゃない。これは右翼も左翼もそうなんだけど、自己の外に必ず見出すんですよ。天皇には”様”をつけなさい、とか。<中略>
重要なのは「自己の内」なんですよ。自分の感覚に聞いてみるということなんです。それを本当と思ってのことなのか。その自己の内に見出される、無意識の自覚なんです。
無意識って最初それは自覚できないから、習慣化されるわけだから、それを自覚化するわけです。そうすると、まさに無意識を知るということは、自分の知らない自分を再帰的に自覚することになるし、自覚し直そうと努力することになるので、その構えのことを一応『保守』と。
まぁ、福田恆存を媒介にして言うのなら、それが適切だろうと、私は考えている、ということです。
保守思想の一歩目を踏み出す
大事なとこだけ引用しようと思ったら、なんか、ほとんど書き出してしまったぜ。動画の文字起こしみたくなっちまった。
はははは。
まぁ、保守思想の重要なとこは、要約すると、
夢遊病みたいに生きてんじゃぁねぇっ。って、ことだろうな。(←雑すぎ)
別の言葉で言えば、意識を「今ここ」に持ってきて、自分の生きている世界と自分を観察しろ。ってことなんだろう。
とどのつまり、無意識にスポットライトを当てる(自覚化する)。保守思想はそこから始まる。
なんとなく保守の感覚って、特に日本人は意識しにくいかもれしれないな。と思う。まず、そういう教育を受けないし。それに、まわりはみんな日本人ばっかだし。
私も自分が日本人だという自覚を持ったのは、2001年にアメリカへ留学したときだった。(←語学留学。ぜーんぜん勉強をしなかったため、今でも英語はちんぷんかんぷん。)。比べるものができて、はじめて自分が日本人だということを意識したんだ。
『保守思想』。あらためて、すばらしい思想に出会えたことに感謝だな。
それにしても、浜崎先生の講義は面白い。かなり夢中。とにかくネット上の動画をノラネコみたいに漁りまくって、内容を問わず見まくっている。今もずっと「真冬のコタツ」状態。(←なかなか抜け出れない)。
人は、いくつになって学び続けることができる。これからも、好奇心を持ち続けて、勉強しよう。
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